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南八甲田の森と源流を彷徨した記録、Gスタジオから発信する雑記 Photos of the Forests and Streams of Mt. Hakkoda and the Photographer’s Journal

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辺見庸の嘆きにシンクロ

紅葉
2009.10.22 南八甲田

 静かな山から街に下りて来ると、際立ってその喧噪さにいらついてしまう。比較しなければいいのだろうけれど、僕はそれほど悟っているわけじゃない。
 何が一番気に入らないのか?物理的な音量とかではない。それは山の方が多いだろう。

 そうではなく、軽々しい饒舌さなのだ。

 中身はないのにただ饒舌で能弁でやかましい。音だけではない。イケメンも、美文も、絶口調のお笑いも、ただうっとうしい。最近とくにうっとうしいのは、反論の組み立てだけは絶対に負けないという人間だ。中身では負けていると解っているくせに折れない人。ようするに中身はどうでもいいのだ。論争に負けさえしなければいいと思っている。これもアメリカンだなあ。だって、謝ったら自分が悪いと認めたことになるという考え方なんだもん。ぶつけたって絶対に謝らないというメジャーリーグと同じだね。

 だから最近は、訥々(とつとつ)としかしゃべれない人を見たりするとなんかほっとしたりする。
 
 それが、辺見庸さんが同じようなことを書いていた(東京新聞「水の透視画法」)。辺見庸さんは前から注目していたけれど、ガンに倒れてからよけいに共鳴するようになった気がする。僕も死期が近いのか(笑)。
紅葉


 今年の八甲田の紅葉は、絢爛とはほど遠いです。まばらで鮮やかさに欠ける。時期に遅れて入山してかえってよかったのかもしれない。こういう年は、晩秋の方が味が出る。
2009.11.05[Thu] Post 14:50  コメント:0  TB:0  紅葉/秋  Top▲

山には神様なんかいない

金曜日の夜、僕はこういうことを飲んだくれてしゃべった。
飲むとしゃべることがめんどくさくなるので突き放すようにしゃべったが、今、補足すれば次のようなことです。

山には(人が作った)神様なんかいない。

ということです^^;

だって人が入らないような山には、人が作った神様などいるはずもないわけで、大自然だけがある。人間の上位にある「自然」を(いちいち説明するのはめんどくさいから)「山の神」と書くことはある、ということ。

このへんのことを2007年4.25、26.、27と連載した「シネグレと悠々」という記事のなかで少し書いている。参照ください。「月別アーカイブ」で辿れます。
霧の森
2009.6.14南八甲田
 大自然の恐ろしさ、あるいは美しさ、そのとてもかなうことのない大きさというものを目の当たりに見たら、神や鬼などという人の作ったものなど他愛のないものだと思う。
2009.11.02[Mon] Post 11:24  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

シネグレにふけゆくもの

黄葉

深奥の森をたったひとりで歩けば容易に誰もが思索者になれると書いたのは2005年の頃のこと(写真集「南八甲田の森をゆく」)だが、それがふけゆく秋ならばなおさらである。

褐葉

老木も必死に紅葉する。

ブナやナラは正しくは紅葉ではない。はじめ黄葉しやがて褐色に変わってゆく。だから褐葉とでも言えばいいのかもしれない。

なぜ紅葉するのか?冬に備えるためらしい。葉の養分を幹が必死に回収しているゆえにおこるのだそうだ。

「木もシネグレだなあ」と写真機をぶらさげた思索者が老木を見上げていた^^;てが
2009.10.30[Fri] Post 14:54  コメント:2  TB:0  紅葉/秋  Top▲

静かな森、オオアカゲラだけが鳴いている

2009.10.19南八甲田
2009.10.30[Fri] Post 12:13  コメント:0  TB:0  八甲田山歩きの旅  Top▲

晩秋の山湖

朝起きたらすごいことになっていた。この沼はすごい。



 僕の写真を見て、行ったこともない、見たこともないのに評論家ぶって「色変換してるよ」なんて間抜けな陰口をたたいている一部のかわいそうな人たちに贈るムービー^^;このムービーは、EOS5DMark2で撮りっぱなしのものだ。レタッチなどしなくても、この沼へ通って最高のシーンをねらえば自然そのものが見事な発色をしてくれるのだということを見てもらいたい。

 ついでにこれからデジタルフォトをはじめようという人たちに少しレクチャーしよう。

 鮮やかな自然の色というものにはちゃんとした自然の根拠と絶妙のバランスというものがある。レタッチソフトによって、写真の一部やある色領域の彩度やコントラストを上げて、「鮮やか」に見えるかのように加工することは可能であるが、それは当然バランスがくずれるのだ。自然さを失うと言ってもいい。雑誌等でこういうテクニックを披瀝する人がいるが、おろかというしかない。なぜなら、自ら「デジタルらしさ」を「引き出し」、自然さ、大自然の絶妙なバランスというものを壊しているに他ならないからだ。その結果、(これも理解不足の)銀塩フィルム派の人たちに「デジタルぽくて嫌だ」と言われてしまうのだ。

 それらのことは、もうひとつの問題点をはらんでいる。自然の四季は毎年同じであるという誤解から起きる浅はかな見識だ。例えば秋の紅葉というものは毎年同じではない。その年特有の発色をし、その年だけの風景を現出するわけだ。だからそこにはアートとしての風景があるだけではなく、ドキュメントでもあるということ。そういうドキュメントにデジタルレタッチを施して毎年鮮やかな秋色というものを作ったらどうなるのか?ドキュメントとしての価値を自ら捨て去っていることになる。

 デジタルで写真を真摯にめざそうという人たちは、惑わされないでもらいたいものです。ちまたに氾濫している、レイヤーを使ったりして色補正して「どうですか?これだけ元写真と比べて格段によくなりましたよ。」というようなデジタルフォトのレクチャーなどはNature Photoには何の価値もないのです。
2009.10.29[Thu] Post 12:13  コメント:0  TB:0  湖沼  Top▲

プロフィール

Author:岩木登
広告写真を生業としながら八甲田山の森と川の写真を撮り続けてます。ブナの広大な原生林が残っているのは世界中探しても日本の東北の一部だけなのですが、青森県八甲田山は、白神、八幡平、朝日ー飯豊連峰とならんでその残り少ない貴重な地域です。八甲田山はそのブナ帯の上に、ダケカンバとアオモリトドマツの樹林帯を有する18座を数える広大な連峰です。僕が撮ろうとしているのはその中でもとりわけ南八甲田の水をめぐる回廊というべきシーンかな?
 2009年のキヤノンカレンダー撮影は撮了しました。この作品は2009全国カレンダー展において全国印刷産業連合会会長賞を受賞しました。「原生の鼓動」〜2009キヤノンカレンダー作品〜キヤノンギャラリー銀座、梅田、仙台、福岡、札幌展は終了しました。 

「源流の核(コア)ー滝とゴルジュ」品川キヤノンオープンギャラリーは終了しました。

十和田市現代美術館企画展 Arts Towada 市民オープンギャラリー 岩木登写真展「原生の鼓動+」は、
2009年9月1日(火)〜9月13日(日)をもって、入場者数6200人を超える盛況のうちに終了しました。みなさん、どうもありがとうございました。

iwakino@mac.com

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