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写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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厳冬期山中_星の光跡

星の光跡

2011.1.26
2011.02.14[Mon] Post 10:00  コメント:4  TB:0  星空  Top▲

風餐露宿で取り戻したもの

ナメコを塩ゆでにして、醤油をたらし、つるっとかき込む。嫌みのないほのかな、素晴らしい香り。次に、大きめのナメコを噛んで確かめる。市販のものにはない豊かな食感。とろみが醤油と解け合って絶妙なのだ。
ナメコ
ああ、いい。このナメコは特別に素晴らしい。奥地で陸封された岩魚のように色が濃くとろみが強い。
ナメコ
十和田のバーのマスターからもらったラム酒をストレートで一気飲み。ああ、滲みる。胸一杯に広がる幸福感!
ラム酒
2009.10.21 

 小さな幸福と静かな時間。

 ようやく疲れがとれたような気がする。ほんの数日の野営だったけれど僕は忘れかけていたものを取り戻した。


 今回の山行、テレビの収録の下見という言い訳をつけたけれど、実は何の予定もなかった。ただ気ままに風餐露宿(ふうさんろしゅく)でぶらつこうと思い立っただけだ。河原でテントを張り、夕暮れから山へ登り、真夜中に森で空を眺めた。
山
八甲田全山を見渡せる八幡岳山頂から。左から赤倉岳、乗鞍岳、猿倉岳、駒ケ峰、櫛が峰(南八甲田)、(手前に)雛岳、(重なるように)高田大岳、小岳、大岳(北八甲田)。下山する時はすでに真っ暗だった。もちろん誰もいない。2009.10.23
星空
2009.10.22 真夜中の2時45分 東の空。天の川だろうが、ブナの巨木から妖気が立ち上っているようにも見えた。流星が20個近く走った。
2009.10.26[Mon] Post 15:45  コメント:6  TB:0  星空  Top▲

源流の銀河

星空
2009.6.9 EOS5D Mark II、EF17-40m F4L USM

 ここにアップした写真では、半分しか伝わらないけれど、この無限の星を見上げると言葉を失ってしまう。
 南八甲田源流のキャンプ地で、夜9時ごろ川の中瀬に三脚を立てて撮影した。火も灯も全て消した暗闇の中でじっと何時間も静かに空をながめている人を見て、まわりにいたにちがいないケモノたちは、不審の眼を向けていたことだろう。
2009.08.11[Tue] Post 11:03  コメント:4  TB:0  星空  Top▲

原生と里山と街と,(寛容の森_2)

星空
カレンダー作品9月 ブナの森の銀河(南八甲田)  EOS1DMark III EF17-40mmF4L

それぞれに自然が、少しづつ違う形をもって存在している。誤解のないように言っておくが、それらを差別し優劣をつけようと言う気は僕にはまったくない。
 里山の自然の大切さについては拙書「南八甲田の森をゆく」で言及しているので僕の論点を知りたいのであれば本を買って読んでほしい。発売から3年たったがまだ紀伊国屋とかジュンク堂とかに行けばおいてあるし、Amazonでも買えるので、ぜひ食えない作家を支える意味も含めて買ってほしい。と言ってもいまだに印税は一銭もない。ほんとなのかと疑いたくもなるが、まだ千部売れてないということだ。情けないが。

 で、話を戻すと、
原生の自然と里山の自然に優劣をつける気はまったくない。そのことを踏まえた上で、僕は原生の自然というテーマに現在的には対峙している。人里近い自然の中では、曖昧にしかわからなかったであろうことがそこにおいては、鮮明にゆがみのない形で現れてくると僕には思えるからだ。原生の自然の厳しさ、その対極のやさしさ、多様性の深さ、生と死のおびただしい数々に直面しない限りは理解(=変わること)できなかったであろう根源的なもの、今はこういう曖昧な言い方しかできないけれど、そういうものを僕は撮りたい。

 偉そうで生意気なことを書いているが、そんな僕は、じゃあ変わったのかというと、前とちっとも変わらないどうしようもないものをずっと背負い込んでいる。すぐに論争せずには済まなかったり、きりなく酒を飲んだり、斜に世の中を眺めていたり、助平だったりとかちっとも変わりはしない。(少しは変わったの?)

 だが(言い訳をするようだが)しかし、そういう「不純」なこともまた「理」があるというのが大自然の教えなのである。原生の自然の中には「純」なものは何ひとつないと思う。「純水」とかは人間が作ったものだ。自然のなかには「清らか」な水はあるが、純水などない。「不純」なものや不完全なものが厖大にある。いやそれどころか、不純や不完全の集合体なのである。はかりしれない不純や不完全が集まって完全なる大自然が成立している。

 厳しさとやさしさ、美しさと異様が混在し、悠久と無常が同時に流れ、多様性を許す計り知れない寛容さが全ての上に立っている。自然は大きい。その大きさとは地理的スケールの大きさではない。寛容の大きさであり、深さであると思う。大自然は究極の寛容である。全ての生き物の生存を許す。

 (注意深い言い方をしなければならないが、このことは人間にはストレートには当てはめられない。人間は傲慢なことに自然のルールからはずれて生き始めているからだ。)

 「人間、みんな同じ気持ちになんかなれっこない」70年の終わり頃、僕はこんな大雑把な気持ちを抱いていた。たぶん僕だけではない。60~70年を越してぼくらの世代の多くはそういう痛烈な経験を重ねたのだ。あれだけ同じものを望み同じものを求めたのに、同じ思想を有していたのに、同じ組織ですらあったのに、同じ気持ちにはなれなかった。少し流れが変わるだけでバラバラになった。

 なぜかと悩んだけれど、そんなことは大自然を見れば当たり前のことだ。いつまでも大河が続くわけがない。流れが変わればバラバラになる。自然に学んでいればわかることだった。自然に学ぼうとぜず人間だけの理性に解決を求めた傲慢さが見誤らせた。

 各人の到達点が常に違うから同じにはならないのだ。思想や感性の温度差も必ずでてくる。

 絶対にいっしょにならない。なれない。だからこそ!多様性を大事にしなければならないのである。多様性こそもっとも大切な思想とも言えるのである。

 そんな考えは、どんな本を読んでもわからなかった。誰と論争してもわからなかった。教えてくれたのは、人からできるだけ離れたところにある自然であったと思う。


2009.02.25[Wed] Post 15:28  コメント:2  TB:0  星空  Top▲

ISO3200の夜景

http://iwakino.com/zoomfy/080509-_13K0190.html

EOS1Ds Mark III ISO3200 で撮影した八甲田連峰の夜景。100%まで拡大できるように本家サイトにアップしました。(画像上でクリックすれば拡大します。パンもできます)
ISO3200の星空写真としては驚くほど色がきちんと残っているし、微細な星も解像されています。若干星が流れているのは30秒露光のためです。100%拡大するとたしかにノイズは多い。しかしこれを例えば、SylkypixとかNik社のDfineとかのNR除去ソフトを使ってノイズ除去処理をするとたしかにノイズは少し消えるけれど、微細な星まで消えてしまう。NikのDfine2.0は「ディテールやシャープネスを維持しながら、とても簡単な方法でノイズ除去が可能になり、これによって撮影した全ての写真の品質を向上することができます。」と謳っているけれど、必ずしもそうじゃありませんね。むしろLightroomとPhotoshopCS3の方が簡単だしディティールを残した処理ができた。さすがにAdobeは洗練されていると思う。


(注。Jpeg圧縮してありますから、本データよりもノイズは多いしトーンも若干失われています。パソコンのパワーが足りないとズームアップに時間がかかるかもしれません。)

2008.09.29[Mon] Post 17:52  コメント:3  TB:0  星空  Top▲

深夜の無灯火トレッキング

月夜

2008.4.20 北八甲田

晴れた満月の夜は、ヘッドライトはいらないほどに明るい。思い切ってライトを消してみる。最初真っ暗で不安をおぼえるが、じきに眼が暗闇に慣れてくる。それどころか驚くほどの明るさなのだ。
月夜
ジッと立ち止まる。ケモノのような気持ちになってまわりを見渡す。しばらくジッとみていたけれど、残念ながら動物はこなかった。誰か人でも来たらおもしろいのにとさえ思った。もっともこんな山中深く真夜中にひとりで歩いている人間はいないと思うが。僕にはケモノのような感情があるのだろうか(笑)。


2008.08.14[Thu] Post 17:34  コメント:7  TB:0  星空  Top▲

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