写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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入山予定

10/28~11/6ぐらいの予定です。
山頂部はもう紅葉は終わってるようですね。21日に初雪もあったようで、もう秋というより冬への変わり目かな?去年は11.30に入山したらとんでもない寒気が襲来した時だった。モンスター(樹氷)がもりもり膨らんでる時だった。今回は山にのぼらず川に入るつもりです。キンキンにしばれることうけあいですね。
あくまでも予定です。スタジオの仕事の合間をみつけての遠征ですから。仕事をこなさないと食っていけませんからね。駆け込みの仕事は金曜まで受け付けます。クライアントの皆さんよろしくおねがいします。
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2006.10.26[Thu] Post 10:44  コメント:0  TB:0  八甲田山歩きの旅  Top▲

薮地獄に守られた楽園

061023.jpg



南八甲田は、稜線がおだやかで原始の自然が残った豊かな山だと言ったけれど、それを守っているのは他でもない薮地獄である。それが、原生の深さを保持し、人の踏み込みを拒んでいる。

 南八甲田には、まともな登山道すらない。猿倉から1本だけそれらしきものがあるが、まったく整備されておらず、、薮漕ぎの連続で、ただの踏み跡でしかなく登山道と思っているとひどく裏切られる。猿倉以外の地ではまして、地図を見て破線状の道を登山道だと思って経験もなくたどるとするととんでもない苦闘を強いられることうけあいである。地形図だけで判断したら容易に薮地獄が経験できます!

 一時間漕いでも200mも進めない!

 そんなことが何度もあった。7月にもなるとネマガリタケの笹は小枝ぐらいに太くなって密生し、2m以上にもなる。ザックを背負ってそこを進むのは豪雪をラッセルして進むよりも困難である。さらに、ネマガリタケにハイマツが混じるような薮ではウエアもザックも顔も傷だらけになって腰をかがめて前進するしかなくなる。一時間進んでゼーゼー息を切らして前後左右見通しの何もきかない薄暗い薮の中で、こんなところでクマと出会ったらどうするのかという恐怖と闘いながら休息したりする。(ネマガリタケはクマの好物である。)

 沢に入っても、残置ハーケンとか残置ザイルとかは見たことがない。三日待っても深い沢では誰にも会わない。高巻きは常に薮と思っていい。沢と森の間は深い薮である。だから南八甲田の沢では、滝やゴルジュを避けて、浅く巻くとか沢ぞいにトラバースするとかはあまりしない方がいいかもしれない。浅いところとかトラバースする斜面は特別に薮が深いからだ。巻くなら一旦まっすぐに森の中まで抜けた方がいい。森の中はあんがいに開けている。
 南八甲田には山小屋というものもない。北八甲田には、登山道はいくつかあるし、山小屋もふたつある。それでも営業用の小屋ではなくて無人の避難小屋であるが。スキー場は北八甲田に、ロープウエーとリフト一本づつあるだけである。国土-西武系が計画した八甲田スキー場計画が地元の反対にあって頓挫したこともまた南八甲田の環境が保全されたという意味で大きい。

 「もはや日本には人の入っていない沢などどこにもない」というような話を聞くけれど、そんなことはない。ここにはある。一日中歩いても人跡がまったく見当たらない沢を僕は何本も歩いた。川の苔にも迂回の薮にもまったく人跡はなかった。

 南八甲田に、手つかずの原始の自然が数多く残されたのは、幸運にもいくつかの条件が重なったおかげだろう。

 まず、本州最北端、青森県という位置関係。去年までは新幹線すらなかった。そのおかげで大手の開発が入らなかったのだ。政治的にも後進地だったのも幸いした。岩手県が首相を何人も出しているのに青森県からは一人も出ていない。こういう政治的な後進性も戦後の伐採等の開発に幸運にも遅れをもたらした。杉の植林地帯は八甲田ではあまり見かけない。
 次にやはり寒さと豪雪という気象。八甲田は、やませという太平洋からの偏東風と、シベリアからの偏西風がぶつかるところで、それが予想を超えた寒冷と豪雪地帯をもたらす。その寒冷と豪雪こそはアオモリトドマツをモンスター(樹氷)に変えて守って来た。ダケカンバやブナ帯をすっぽり覆って保護してきたのだ。実際に12月から4月まで通行止めのところがほとんどである。一年のうち5ヶ月間は雪によって保護されてきたのである。

 そしてもうひとつ大きな要因は、南側には十和田湖・奥入瀬渓流という観光地があり、北側には北八甲田という登山のメッカがり、その真ん中に南八甲田があったこと、それこそは南八甲田が見捨てられ、そのことによって原始の自然が手つかずのまま残ってしまうという奇跡のような状況が作り出されたのではないかと僕は思うのだ。
 なだらかでおだやかな稜線の南八甲田に魅力を感じるアルピニストは少ないだろう。アルピニストは北へ向かう。奥入瀬ほどのみごとな渓流を探すのもむずかしい。観光客は南へ向かう。

 地形図上で確認できる名前がついた川と沢だけでも50本以上あり無名の沢も含めたらキリがないほどある。南八甲田は水の楽園である。

*** 21日に八甲田で初雪がありましたね。もう冬はまじかですね。来週あたり入山予定。
2006.10.23[Mon] Post 13:33  コメント:0  TB:0  山歩きの思想  Top▲

山岳写真ではないよ

 口の悪い僕の友人達は、
「オマエの写真は岩魚が一番いいなあ」と言う。
ふん、と聞き流していたのだが、
案外、核心にふれているのかもしれないと思うようになった。

僕自身、自分の写真は山岳写真じゃないよ、という言い方をしたりする。

山岳写真の権威あるすぐれた写真といえば、険しい岩峰、厳しい山頂といったものがテーマになるわけで、僕の写真はそういうものがメインなわけではないからだ。

険しい岩峰-そういうのは八甲田にはほとんどない。ピークまで緑に覆われている。
厳しい山頂-山頂の写真はほんのちょっとだけ。そこに至る森や渓谷がメインだ。それどころかそれどころか僕は山頂に至るのを目的としない。だから山岳写真ではない。それに、厳しさももちろん撮るけれどやさしさやなだらかさをこそ撮りたいと願っている。僕の主観的願望だけではない。八甲田はそういう山であるからだ。

南八甲田というのは、「死に立ち向かう」山ではなくて、「生命の躍動を謳っている」山、豊穣で寛容にあふれた山である。僕にはそう見える。
だから、
岩魚や山菜をとって食うことが、西洋アルピニズムとか白川義員氏の写真とかとはちがう、僕の山行と写真の核心なのでありそれがなければ片手落ちなのである。などと思う。(岩魚を食いたいからだろうという悪友の陰口が聴こえる^^)

 僕の友人の、コマーシャルフィルムの監督が、
「遭難というのに、...ちょいと憧れる」と僕に言っていたけれど、これもかなり核心をついた言葉で、アルピニズムというのはそういうものをめざしていたと思う。特別厳しい自然に立ち向かって生と死の境界を彷徨うこと、そこから生還した時に人間のアイデンテッティを確認すること、とかだろうと思う。厳しいものに立ち向かう人間の姿というのは美しい。そういうものはあっていい。

 そういうものを全否定しているわけではない。ただ僕はいくつかの疑問を持つ。
疑問を持ち始めたきっかけは、植村直己さんだった。(僕はこの人とラインハルト・メスナーを文句なしに尊敬する。)
 植村さんが、ヒマラヤ等の山岳遠征に嫌気をさして、極地の単独行に向かったのはすごくわかる。登山家でもないし3000mしか登ったことがない僕が生意気だけれど、パーティーを組んだ大遠征隊でチョモランマを「征服」しても何か特別の意味があるのかとか思ってしまうわけだ。
 それでも植村さんですら、「悪無限的な挑戦」から逃れられない。もうこれで最後にすると言ってマッキンレーに単独で入山して「遭難」してしまった。遭難ではなくて、山から降りるのがいやでそのまま寝てしまったのか、最後だという意識からクライマーズ・ハイが切れてしまったのかとか勘ぐるのだけれど真実はだれにもわかるはずもない。

 そういったすべての西洋的なスタンスとはちがった、日本の、自然に対する接し方、思想というものをくみ上げる写真を撮れるようになればいいなあと思う。
 寛容さだけを撮るつもりもない。厳しい山岳も渓谷も同じ山である。「征服」や「アタック」という言葉は似合わない。最近無節操に使われてる「共存・共生」という言葉もなにか少しちがう。写真だけの領域で、あえて言葉をさがすなら、”一体になること”、だろうか?人間も自然の一部であると感ずることが必要であるとするなら、きっとそういうことである。そうすればきっと今まで見えなかったものが見えてくるのかもしれないと思う。

 「虫けら並みの夜」の悟り

 6月の南八甲田、一週間そこに倒れていても誰にも発見されないような源流の河原で、僕はたったひとりでツエルト一枚オープンに張って野営していた。8時にはシュラフカバーに潜り込んで横になる。その時こんなことをつぶやいた。

”ランタンは消して真っ暗にする。しばらくすると木の葉の合間から星が見えてくる。夜空と南八甲田の真ん中で自然と一体になる。なんてオレは小さいんだ。ブナの幼木にも満たない。虫けら並みじゃないか。”

と。
 大自然の中のちっぽけな自分を思い知らされる。虫けらのような、米粒のような人間の存在を実感する。ここでのたれ死んだとしてもただ土に還るだけである。大自然の営みは何も変わらない。何もなかったかのように過ぎてゆく。そんな人間の、悩みや不安や煩悩といったものはふーっと吹き飛ばされて風化するだけである。なんて小さなつまらないことに心を重くしていたのか、と。そうおもったとたんに体中(こころ中)のコリが頭のてっぺんからすーっと抜けていくような気がしたのだ。煩悩とは無縁の軽やかな気持ち。これは悟りの境地というものではないか。
...、ところが東京に帰ってしばらくすると、またより戻しをくらってしまう。まだまだありきたりの凡人なのです(苦笑)。

 さておいて、本題に戻ると、

 自然を「征服」しようとか「支配」しようとか、また同じ土俵でしかない「保護」しようとかいう意識ではなくて、
人間は同じ自然であること、自然のなかで生かされていることを理解し、自然と一体になるために山に入ること、そのことによって見えてくる自然のありのままの美しさを写真に撮ることこそ僕のめざしたいものなのです。初登頂といって旗をたてる人々といっしょにされて比較されるのは心外だと時々言いたくなるのです。生意気ですか?きっと生意気ですね。説得する写真が足りないものね。あ~あ、時間も金も装備も何もかも足りない。ほらね、また凡人の悩みにとらわれ始めている!



2006.10.20[Fri] Post 16:49  コメント:0  TB:0  山歩きの思想  Top▲

渓相のすばらしさ

061019.jpg


 釣り人ならこの渓相のすばらしさはわかりますよね^^;大岩魚がまちがいなくいるってね。

 だけど残念なことにこの渓は、源流とは呼べないのです。この上にまだ砂防ダムがある!
なんで?どういう必要性があるのか関係者に聞いてみたい。
みごとな巨岩の配置、豊かな水量、両岸を覆う鬱蒼としたブナ。見方ひとつで奥入瀬を凌駕する美しい渓流なのに河川管理者にはそういう感覚が何もないらしい。ダムがなければ水の澄み方はさらに一段ちがっていたはずなのに、ここを訪れるたびに無念さを禁じ得ない。
2006.10.19[Thu] Post 12:56  コメント:0  TB:0  渓流  Top▲

尺岩魚が群れている

岩魚
岩魚


 ゆうに10匹くらいの尺以上の岩魚が群れていました。(上の写真で4匹。わかりますか?)エラのところが赤くなってますね。産卵期特有の婚姻色かな?
禁漁期だから見ているしかないけど、じっと見ているだけでも愉しいものです。
2006.10.16[Mon] Post 14:33  コメント:0  TB:0  岩魚ほか  Top▲

源流は濁らない

10月8日。観測史上最大の集中豪雨を記録した三日目の朝。
蔦川の本流下部は濁流と化していたけれど、少し登って支流の沢へ入るとほとんど濁っていなかった。豪雨の支流

蔦川濁流

南八甲田の保水力のすごさをあらためて実感した。蔦川下流部の開発の醜さも現出していたのである。
ダムの是非はむずかしい問題ではあるけれど、砂防ダムを越えた上流では、岩魚は悠々と泳いでいたのは現実である。岩魚

061016c.jpg

岩魚

岩魚

2006.10.16[Mon] Post 12:39  コメント:0  TB:0  環境問題  Top▲

遭難事件を考える

先週は遭難が連発した大荒れの日本でしたけれど、僕も、4泊5日の全計画を変更して山から撤退して、温泉に入ったり酒を飲んだりを余儀なくされました。撮った写真といえば蔦川下流の濁流と支流の沢で撮った岩魚の写真ぐらいです。
 
 今回の遭難事件は、考えさせるものがありましたね。

*ベテランがそろっていたのになぜ?、、、、
自分がベテランだと思い始めたら危ない。謙虚さが大事です。

*せっかくとった休日の計画だから、、、、
というスタンスもあったのではないかと思いますね。カレンダー通りに山に入る、...こういうなめた心構えじゃあ山の神に捨てられる。

*それから、グループで行動する時の危険性、、、
ある意味で単独よりも自由がきかないということ。ひとりなら簡単に撤退を決定できる。同じ危機意識を共有していないとかえって危ないのではないか。

*近代装備とテクノロジーの問題。
天気予測とか以前よりも正確にできるという過信もあっただろうし、ウエアなどもハイテクものに過信していたということもあったのではないでしょうか。

やはり、人間は自然には絶対に敵わない。そういうことを忘れた傲慢性が山に制裁されるということをあらためて自己認識した事件でした。
2006.10.14[Sat] Post 19:20  コメント:2  TB:0  山歩きの思想  Top▲

嵐の八甲田

嵐を予感させる空を飛んで飛行機で青森空港に着いたのが10月6日午後2時30分。青森はすでに嵐の序章に入っていた。
1時間遅れて八甲田行きの最終バスにもうすでに間に合わない。
 僕は飛行機のタラップで管理者風の女性パーサーをつかまえて、
「八甲田行きの最終バスに乗り遅れたんですけど..」と訴えた。
そのパーサーは、
「タクシーを用意しますけどそれでもよろしいですか?」
と、即座に僕の要望に答えてくれた。

こうして僕は猿倉登山口まで悠々とやってきたのだ。メーターは¥7000を越えていた。
はなからなんというラッキーだろう。バスで行っても¥1620かかるところをタダでタクシーである。

しかし、それから三日間、八甲田は荒れに荒れた。八甲田山観測史上最高の雨量を記録した。
全国でも多くの遭難者を出したのはこの日と翌日である。

僕はたまたま偶然が重なって難をのがれた。
観測史上最高ということは、経験値を越えた気象ということであって、経験値で判断していたとしたら僕は入山していたかもしれない。
不思議な事にこの日は、猿倉登山口の小屋に寝る計画だった。僕はいままで八甲田では一度も小屋に寝たことがない。いつでも野営である(か車で寝る)。なぜ今回だけ小屋泊まりを計画したのか?飛行機が昼便で現地着が夕方になるからだが、じゃあなぜ朝便じゃなくて昼便にしたのか?それがどうもわからない。虫の知らせ?...、また山の神様に感謝しなければならない。


翌日、蔦川へ降りてみた。

およそかつて見たこともない蔦川の大濁流!
高波のような濁流がこの川に押し寄せるなんて!唖然として震えながらシャッターを切った。

蔦川濁流


蔦川濁流2


蔦川濁流3

2006.10.10[Tue] Post 15:44  コメント:0  TB:0  渓流  Top▲

渓流の歩き方

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沢タビとか渓流シューズとか市販されてます。底にフェルトという材質の滑らないものがいいですね。トレッキングシューズとか登山靴は滑ります。釣り用の長靴でもいいですが、長時間歩くには重いし、高巻きや滝の直登には向きません。ワラジは最高に滑らないけれど、最近のは半日くらいしか持ちません。すり切れてしまう。登山靴でやむなく川に入ったらどうするか?蔦の細いものをさがして靴に巻き付けることです。緊急の手当としては十分です。登山靴でも慎重に歩くからいいとなめてかかっていると大けがをします。

 源流部に入ったら、岩や苔や砂上などを注意深く観察すれば人跡があるかどうか確認できます。

 石や砂に土砂が着いていたり、水が茶色く濁って来たりしたら上流部に崖くずれがあるか砂防ダムがある証拠です。

 ブナ帯の渓流では(ブナ林の保水力が大きいため)急激な増水というのはほとんどありませんが、地形によってはあり得ます。両側が極端に狭められたゴルジュやジップ、あるいは倒木などによって自然発生的にできた堰堤がある時は、上流部で雨が激しく降っていた場合(その時下流部では全然気づかない時もある)、堰堤などが決壊して鉄砲水(急激な増水)が来る時もあり得ますので要注意です。鉄砲水の時はゴーっという地鳴りのような音がします。そういう時は高いところに急いで避難することです。岩なんかじゃだめです。岩も流されたりしますから。薮をこいで(川の両側はたいがい薮ですから)森の上まで登ることです。
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 疲れたら岩に腰掛けて岩魚ウォッチングでもすればいい。下流側を見てもダメです。岩魚に見つかって逃げられてしまいます。岩魚は捕食するために上流向きで泳いでいるのが普通ですから上流にいる人も発見してしまうのです。
 最終ダムの上であること、上流部に山小屋がないこと等の条件がそろえば本流の水を飲んでもかまわない。ただコップや手のひらなどに入れてから飲んだ方がいい。虫が流れてきますからね。虫ぐらい食っても平気という人はお好きにどうぞ(笑)。
2006.10.03[Tue] Post 15:45  コメント:2  TB:0  渓流  Top▲

秋雨の時期は、ブナの森の渓流

を歩いて見ればいい。
保水力のとりわけ大きいブナの森の真ん中を流れる渓谷なら、
雨で水が濁ることもあまりないし。増水の心配もない。
都会のコンクリの上なら10分で疲れる人もここなら1時間あるいても平気です。
1時間も2時間も歩いて、汗もずいぶんかいているのに、どうしてこんなに呼吸が楽なのか?と驚くはずです。
雨の渓流


人間関係に疲れたら自然の中に入ってみること、それが自分をとりもどす古来からの人間の知恵です。森と川のそばでゆったりすればあらゆる生き物は生気をとりもどすのです。

雨の渓流


 だけど遠いからなあ。ムチ打ってどこかでふんぎりつけないとなかなかあの景色にはたどりつけないよね。
2006.10.02[Mon] Post 14:36  コメント:4  TB:0  渓流  Top▲

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