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竜神の滝上段(7)へ竜神の渓谷6竜神の渓谷5竜神の渓谷4竜神の渓谷3採り残して来たキノコ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 先日、山から少しだけ恵みをわけてもらう気持ち、 が大事だと書いた。 釣り尽くし、採り尽くし、遊び尽くすというのは、ダメなんだ。 利潤を追求するためにあらゆることをやりつくすのが、「自由競争」という名を持ってする現代資本主義の行動形態だし、 そういう考えというのはそこの下部構造に発しているわけだ。僕も含めて多くの人間がそういう考えからなかなか逃れられない。 自然も社会も人間関係も破壊して、おかしくしてしまったのはそういう思想である。 少しだけわけてもらうという気持ちは、ケチくさく生きようということではない。 際限ある資源をみんなで分け合おうという思想にほかならないし、 そうやって共生する考えを持って生物多様性を維持しないと生態系そのものが壊れてしまうよという考えを持つことなのだ。 自然の中に入って行けばそういうことを教えられる。 岩魚もなめこも少しだけとればいい。 食べ尽くす、飲み尽くす、遊び尽くす、こんな言葉が雑誌にあふれているじゃない。かっこいいスタイルかのように。 そんなのなんもかっこいいわけじゃない。資本主義の掟にとらわれているにすぎないよ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 美しい自然が残っているのも事実だけど、この南八甲田ですら日々崩壊がすすんでいることも事実だ。 この前の10月に来た時は、とんでもない嵐に遭遇して、奥ににほとんど一歩も入れなかった。その時の崩落の跡は各所にあった。 崩落は年々増えて広がっているように見える。こういう自然破壊というのは保護地域を設けて足りるとする環境行政ではまったく救えない。オゾン層が破壊されて地球環境がおかしくなっていると警告がなされてから20年以上経つのにまるで対策が後手後手になっている。母なる大地を壊したら生きて行けなくなるのは人間なのに。 ![]() 笠松峠のアオモリトドマツを、見事な朝焼けが照らした。写真を撮れと山の神様は、峠を急いでいた僕を立ち止まらせたのだ。 水がもっとも美しい季節竜神の渓谷2竜神の渓谷へ
別に僕は紅葉を撮りに行ったわけではない。
通読してくれている懸命な読者なら薄々感づいているかもしれないし、 僕の親しい友人達には話もしているのだけれど、 僕は、来年のある計画のための調査のために山に入ったのだ。 その計画は実行可能なのかどうか? 単独でも行けるのか、チームが必要なのか?ほか諸々のことを調べねばならない。 この先、年齢・体力・気力を考えると今やっておかないときつくなるというようなことをたくらんでいるわけだ(笑)。 その矢先に、死体と出くわした。その調査の行き先の入り口で。 つまらなくも、これは何かの暗示なのか?とも考えたりした。考えあぐんでも何も出てきはしないので僕は検死が終わった後、その足でまた奥へ入って行ったのだ。先に進まないかぎり何もわかりはしないさ。 1週間の山行を終えて、結論から先に言うと、あれは暗示ではない、山の神のご挨拶だ。乗り越えて中へ入っておいでというご挨拶。さあ行くか。考えは固まりつつある。 最終堰堤から川に降りて、 まだかまだかと言いながら、 あのカーブまで行ってまだ先が見えなかったらもうやめようと思いながら、 いやもうひとつあの岩を越えてからとか、まだ歩けるしとか、 足も腰も肩もパンパンになってもう休んで引き返すべえと腰を降ろして休んだら、また歩けるようになったしとか、 ずるずると川を5時間あまり遡行したころだった。 景色が変わった! 雰囲気が異様だ。 あれだよ、あれ。あの異様な御用松の崖こそまちがいない。先人が竜神様と崇めまつった滝がこの渓谷の奥にある! ![]() ![]() 林道や堰堤を越えて![]() 林道や堰堤というものは、人間が原始の自然に橋渡しする融合点みたいなものだけれど、 すべてが不必要なものでは決してない。それらすべて悪と考えるのは、悪しき環境保護運動主義と言っていい。 一方的支配-破壊というスタンスで自然に接してきた欧米的自然観の裏返しと言っていいもので、そういう狭い思想にとらわれた自然保護論者は日本にもいる。そういう自然保護論というものは、人間が自然を支配するということと同じ土俵の同じスタンスなのだということが理解できないようだ。聖域として、自然が残されている部分だけを保護してやろうという考えではもはや決して、地球環境全体の自然を保全することすらできなくなっているということをみんなが理解しないと大変なことになると思う。 論議を深める必要があるけれど、きょうはここまで^^;長くなるとみんな読まなくなるからね(笑)。 林道も堰堤も美しいでしょ。この林道はいま一般車通行止めになっている。それがいいんです。少しだけ自然の恵みをわけてもらう気持ちがいい。どかどか車で入ったらだめです。3時間も4時間も歩くからいいんです。そうやって肉体を使った人間は自然も迎え入れてくれる。 ![]() 源流で日が暮れる原生林の黄葉南八甲田は奥深い
死体を警察にあづけた後また僕はひとりで南八甲田の奥へ向かった。警察は6人くらいがきて検死を終えて死体を運んで山を降りて行った。
自殺者は、誰もいない山奥へ行って静かに死のうと思ったのかもしれない。誰にも出会わないような山道を4時間も歩いてさらに崖のような道を標高差100m以上も下って松見の滝を最後に見納めたのかもしれない。その後さらに滝の上へ行って、ひっそりとしたブナ林の斜面で横たわったのだろう。どんな理由があったのかしらない。冥福を祈るだけです。 山で死のうというのは自由です。止めようもない。 ただ、 山で静かにきれいに死のうというのは幻想にすぎない。 死体はぼろぼろにされる。キツネやタヌキやテンやネズミが食い荒らす。死んだものは必死で生きるものたちに食われる。それが自然の掟です。きれいに死ぬというのは人間だけの勝手な妄想にすぎない。ただ死体だけが残る。それが現実です。 南八甲田は深い。ここらでも1/3にも満たない。それもただ先人の開いた林道を歩いてほんの少し山に足を踏み入れただけにすぎない。山や渓谷の厳しさが増すのはこの先なのである。ここから薮はますます濃くなり森は深くなり渓谷はきびしくなる。先日、猿倉の登山道で登山者と出会ったけれど、彼は”南八甲田を制覇しました”と言っていたけれど、とんでもない。彼は全国の山を「制覇」したそうです。山岳雑誌にもいくつも記事を書いている人だそうですけど、何か勘違いしてませんか?あなたがたどったのは先人が切り開いたわずかなたった一本の登山道を行き来しただけです。 「制覇?みぢはずれで山さひとりで入いねばわがねべ」 と不機嫌にしゃべった僕の言葉がわからなくてキョトンとしていたようですが。 *松見の滝と南八甲田の山脈(やまなみ) ![]() 松見の滝は、下から見上げた写真がほとんどでそれではこの滝の威容はわからない。下からでは2段目の滝と1段目の半分を見ているにすぎない。僕は松見の滝の全容をなんとか撮れないものかとさがして歩いた。 このポイントは、対面の尾根のピークである、幅1mもない馬の背のような尾根を渡ってたどりついた絶壁である。 南八甲田の奥に踏み入ればその薮の濃さはまるでジャングルだ。木の枝のように太くなったネマガリタケが立ちふさがる。 ![]() ![]() 晩秋の源流。ショッキングなスタート!
一週間の八甲田滞在から戻りました。
2日目に山中奥深くで死体を発見して驚いた。 ブナ林の下り斜面のくぼみでシュラフに入ったまま横たわっていた。 真っ青な顔を見て悪寒が走った。きのこ採りとも登山者とも思えないただのスニーカーが2つそろえてある、シュラフが夏物でこれでは今の時期は夜を越せない、自殺かもとすぐ思った。顔はまだきれいなままだった。「オーイ!」と2.3度声をかけた。体も揺らしてみた。ぴくりともしない。 すぐ山を降りて警察に届けた。 まだ1日2日しか経っていないだろう。腐臭もなかったし。発見が遅れたらけものに食い荒らされていたにちがいない。人が通るところじゃないし僕がここを通らなければ白骨化していただろう。僕も5m離れて歩いていたら発見できなかっただろう。 ぞっとしたなあ。 場所は、黄瀬川の松見の滝入り口のさらに奥の林道を登って、滝の上に出ると思われる斜面を下ったところ。ここまでは林道入り口から4時間はかかるところ。道はなにもない。およそ誰も人が入るようなところじゃない。僕もはじめて入ったところだ。 疲れ果てた末の過労凍死かとも思ったけど、4日後に駐在所に行って聞いてみたら、家族から捜索願が出ていた人だったそうで自殺らしいです。少しほっとしましたね。家族のためになったわけですから。 気持ち悪いなあ、とかいいながら警察の検死の後、 「オレもう行っていいですか?」 「ああどうもごくろうさまでした」 という会話の後、また僕はその斜面を下って奥に入って行った。 合掌。 はやく見つけてやれと山の神様が僕を呼んだのかもしれないなあ。 (日本中を覆う自殺者の群れは八甲田の山中にまでおよんできたということか?山は死ぬところではない。命を蘇らすところであってほしいなあと思う。) 追記。 この事件は報道されなかった。自殺だからであろう。遭難事件ならニュースになったであろう。ニュースにとりあげられない多くの自殺事件があるらしい。年に5万人も自殺しているのだから。 |