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記憶にない疲労困憊![]() (EOS5D /EF17-40mmF4L タイマーリモートコントローラーTC-80N3使用。この川は、U川です。文中と関係ありません。) 駆けるようにいくつもの滝を下り、沢を走った。 それでも事故を避けるために注意を怠らずに、のつもりだったけど、足を滑らして淵に落ちて必死に泳いだところもあった。もうすでにカメラも三脚もザックにパッキングしてあったので、落ちたのも半分覚悟の上だったのだと思う。落ちた方が速いとも思っていたかもしれない。でも誤算はあった。服とザイルが濡れて随分重くなったのだ。タバコも濡らしてしまった。どんどん歩いた。筋力はあまりなくなっていたので、すり足で小股でスタスタと岩から岩へ渡り歩いた。こたえたのは足腰よりもむしろ肩にかかるザックの重さだった。しまいには30分ともたなくなった。休憩を頻繁にとった。休憩から立ち上がりザックを背負う度に肩に激痛がはしる。1分もしないうちにザックの重さで肩と背中が悲鳴を上げていた。三脚を捨てようかとすら思った。夕暮れがどんどん迫ってくる。夜7時を過ぎて、ついにヘッドライトをつけざるを得なくなった。8時に休憩をとった時は完全に真っ暗になっていた。もう疲労困憊でどうにもならない状態だったけれど、とにかく下るしかないという答えしかないから迷いはしなかったけれど。 最後の黒砂糖も食い尽くしてもう何もない。 それで、いかれたことに僕は薬品のビンに詰めてきたウイスキーを飲んだ。とにかくカロリー切れだからウイスキーでもいいさと思ったのだ。そのかわりもう座ったら寝てしまう。立って歩き続けるしかないという理性はあったはずだ。 そしたらどうだろう、ほんとにエネルギーを取り戻したのだ。まったくあきれたことにハイになって唄をうたいはじめて歩き出したのだ。サイコーだなと気分よくなった。でもそれはほんの数十分だけのつかのまの幸せだった。また地獄のように足取りが重くなった。肩から頭にかけて鈍痛まではしるようになった。それでも僕には見えていた。あの景色は記憶がある。あそこをおりればもうテントが見えると。そういう勘違いを3回ほどやった。 そしてついに4度目にほんとうに見えたのだ。ヤレヤレヤレヤレ、ほんとに長かった。夜の9時だった。朝5時から16時間!ほとんど歩きづめだ。こんなに疲れたのはちょっと記憶にないなあ。 濡れたまま眠るわけにはいかないので、フラフラになりながら着替えをして泥のように寝入りました。 野生の力を取り戻そう
-閑話休題-
世界陸上で日本勢が勝てませんねえ。 今日の新聞に陸連の関係者の談話が載ってました。 「、、、スポーツ食品にばかりたよるのは考え直さないといけない、、、」と。 それを読んで、やっぱりそんなことがあったのかと思いました。 僕はついこの前、山でスポーツドリンクなんか飲んでたらダメで天然の湧き水の方がずっといい、と書きました。それが野生の力なんですよ。スポーツドリンクは何かが足りない。なにかしら今、サプリメントばやりですけど、こういうのは効用はあるとしても、何かが足りないし、自然のバランスをくずすし、人間のそもそも持っている能力をなくしてしまうと思う。例えば、これも僕が前に書いたけど、ウコンとか二日酔いにいいと言ってしょっちゅう飲んでる人がいるけど、こういうのは、一時的に効くのかもしれないけど、しょっちゅう飲んでいたら人間がそもそも持っている解毒能力をなくしてしまう。それに、二日酔いというのはそもそもの人間の身体が不調に陥っている事への警告なわけで、そういう時はおとなしく回復するまで身体を休めた方がいいわけです。 科学も必要だけどもっと野生の力を取り戻すことが必要だと思う。 女子の400Hでオーストラリアの選手が、産後10か月で勝ったんですけど、これもある意味で野生の力ですね。「科学的な」理屈で言えば産後すぐに競技をするなんて身体によくないと言われるわけです。でも自然界ではほんとはそうじゃないんですよね。野生動物は子供を生むとそのとたんに危険にさらされるわけです。弱い子供をねらった敵に身構えなければならないわけです。だから産後の母親はけっして弱くはない。クマなどは産後がもっとも強いわけです。人間も野生の力があれば強いはずです。 それから、長距離でアフリカの選手の強さが際立っていますが、これも野生の力の典型でしょう。遺伝子だけではなくて、自然の野山を駆けるトレーニング(クロスカントリー)がバネを強くしている。トラックやロードばかり走っていたら強くはなれない。土の上を走るのがいいんです。 格闘技の優秀な選手というのは、バーベルのトレーニングじゃあダメで、自然の岩を持ち上げるトレーニングをすると聞いたことがあります。これもそうですね。 科学を否定するつもりはない。科学も必要です。それは人間の財産ですから。でもそれに頼り切って人間本来の力をなくすようなことのないようにしたいものです。僕の山行は、野生の力を取り戻す旅でもあるかな?^^;「科学的な」理屈をグジャグジャ言うまえにもっと人間の身体的・精神的な力を信じたい。 *世界陸上で、一番すごいなと思った選手 女子10000mのディババ(エチオピア) ここのサイトで動画が見られます。 http://www.tbs.co.jp/seriku/result/atw1001_010.html きらめくようなナメの楽園![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() まるで赤い絨毯のような美しいナメ滝ナメ床が続いた。まるで楽園のようだ。池塘のことを別称「神の田」というが、この峡谷は、これもまた「神苑」にちがいないと思った。この先にP沼にいたる支沢があった。もう源頭はすぐそこのはずだ。それをたしかめて僕はカメラもザックも脇において源流にそのまま座り込んだ。冷たい水がズボンもパンツもずぶ濡れにして身体の細胞のなかまで入り込んでくるような心地よさだった。ついでにシャツも脱いで洗ってしぼって着直した。脱ぐ時に肩に激痛が走って痛めていたことに気がついてしまった。それでも充実感に満たされていた。山の神に何度も感謝したい気持ちだった。あのクマは神様の使いだったか^^; どう見積もってもベースキャンプにもどる時間切れに近い。僕は引き返すことにした。走るように下らなければ日が暮れてしまう。 スノーブリッヂと赤いナメ滝峡谷の核心(コア)のような大岩壁
その圧倒する存在感にうなるばかりだった。
いったいなんだろうこれは?何かが封じ込められているかのようだ。 揺らいで押し寄せるような、見ているだけで不安をおぼえるような力を感じた。 ちょっとこんなのはいままで見たことがない。ただの岩なのに、なぜこんなに感動するのだろう。 ![]() ![]() ![]() ほんとにすごいと思った。きっとこれを見たいがためにここへ来たのかなあと思った。 もうこれでいい。引き返そうとすら思った。 だけど、どういうわけか、いやもうちょっと行ってみようと思いまた歩き始めたんです。その何かひっかかるようなもの-それがさらに上流にあったんですね。この時すでに12時を回っていたわけだから、朝出て6時間以上歩いていたことなる。そろそろ切り上げないとベースキャンプにもどるまえに夜になってしまう時間帯だ。暗闇に沢を下るようなことは避けたい。時間を気にしながら登り続けた。 険しくなる峡谷60万年の悠久の大岩壁ギンリョウソウノド、暗門、ゴルジュゴルジュの中で休息淵心も踊る連爆帯
黒い岩や赤い岩がめだつようになってきた。白い岩はむしろ少ないのになぜ桂月は白竜峡と名付けたのだろう?
柱状摂理の岩壁も多い。こういう摂理状の壁は、へづって渡る時に掴みやすくていいのだけれど、もろいのが難点。すぐはがれ落ちてしまうので危険も併せ持つ。実際何回か崩れ落ちた。もっともこの程度なら落ちてもたいしたことはないので迷いもなくすいすいと渡っていく。 小さな滝も連続して現われる。ほとんど直登できるくらいのものばかりで、どこを渡るのか-ルートファインディングを詰め将棋のように楽しみながらゆく。実にたのしい。カメラも三脚もなければ、それに同行の友人でもいれば滝壺にザブザブ飛び込んで渡っただろうと思いながら、ひとりにやにやとほくそえんでご機嫌な遡行を続けた。 ![]() ![]() ![]() 美しいナメ滝の連続山の恵みをいただくということ
山で快適な体調を維持するには、その山の恵みものをいただくというのが大事なことなんです。そこの水を飲み山菜を食い岩魚をいただく。ポカリスウェットを飲みカロリーメイトをかじってるんじゃあ何日も連泊すれば身体のバランスがくずれてくる。こういう人工のものってなにかが足りないんだ。湧き水のミネラルの方が優れてる。自然の中で連鎖している生き物というのはそういうものだと思う。
だからして僕はできるだけ山でとれるものはそれをいただくことにしている。しかも、それはみんな旨いんだなあ。そう、身体的栄養だけじゃなく心が豊かになれる。うん、これが一番大事なことなのかもしれないなあ。 ![]() ![]() (ミズ) ![]() (ミズは茹でるときれいなみどり色になる) ![]() (タケノコは少し時期が遅かったけれど、標高1000m以上ではまだ残っていた。タケノコが好物のクマも高山まで登ってきていたようだ) ![]() ![]() ![]() 一人、源流の河原で火を焚いて酒に酔う。入山して20日目、10秒のセルフタイマーにうっかりウトウトしまった。 P川の岩魚![]() 休憩した時にかじったのがこの岩魚の一夜干し。 ![]() 昨日のキャンプで即席に焚き火で焼き干したもの。去年の夏はさくらのチップを持っていって本格的に薫製を作ったが、今回はそんな余裕がないので焚き火で焼いてそのまま残り火で朝まで風乾したものだ。まあ片手間のものとしては悪くはない。パンをかじりコーヒーを飲んで朝食を済ました。 ![]() この川は、魚影が濃いというわけでは決してない。釣り場までアプローチに苦労するというわりにはたいしたことはないというのが実感だろう。むしろこの川は薄い。なぜだろう?酸性が強いのではないか?川の源頭部にあるP沼は強酸性で魚はいないし、近くのB沼もそうだ。硫黄の温泉が吹き出している沢もある。そういう酸性水が各所でこの川に入り込んでいるだと思う。例えば、このP川の大滝の上流では、岩魚がつれる区域とまったくダメな区域があるようだ。遡行していってもまったく岩魚が走らない(見かけない)流域が存在する。 それと、何度も僕が指摘したように八甲田全般に言えることは岩魚釣りは難しい。やませ(冷たい偏東風)も問題だ。火山帯で部分的に酸性が強いのもある。やませもない、火山でもない白神の赤石川とか秋田の和賀とかの方がずっと濃いと思う。 そう言えば前述した根深氏はこの川でスコンクをくらったようだ。開高健もグダリ沼で降参したし、井伏鱒二もダメだったらしい。ここの気候や地理に熟知していないとむずかしいということだね。 ![]() 例年より小ぶりかな?冷夏が影響しているのかも。腹部の橙色が濃いが、それが幽閉された深山の渓谷の岩魚の特徴である。 30分ほどで3匹釣ってそれで打ち上げ。ひとりのバゲメシ(*南部弁=晩飯)にそれで十分。 ブナの森は水がうまい白竜峡への道
この峡谷が、「白竜峡」と呼ばれるものであると知ったのは最近のことだ。
少なくともこの峡谷遡行を計画した去年の夏にはまったく知らなかった。 知ったのは、地元青森の新聞紙上において大町桂月という十和田・八甲田に深く関わった明治の文人の特集が連載されているということを先月十和田に立ち寄った時、友人に聞いてからだ。 知らなかったことは恥ずべきことかもしれない。大町桂月自体は知っていたが、十和田湖と奥入瀬をはじめて世に紹介した紀行作家ぐらいとしか思っていなかったので、その無知ぶりは少し情けないが、その後、僕なりにそれらの文献を読みあさってみたので少し紹介しよう。 大町桂月の紀行文は、大正11年の「太陽」誌に発表されている。桂月は、単なる文筆家というよりもかなりの健脚をほこる冒険家でもあったようで、北海道大雪山系の層雲峡も彼の命名らしい。桂月岳という彼の名前にちなんだ山すらある。蔦温泉にある彼の墓には“鉄脚居士”と戒名がある。 白竜峡も彼の命名のようだ。 それによると、桂月は、地元のガイド2人、人足2人をひきつれて遠征隊を組んだ。ガイドは、「山の神」太田吉司と「十和田の主」小笠原松次郎のふたりで、このふたりとも十和田では山を知り尽くした伝説的な人物だったようだ。特に太田氏は自他ともに「山の神様」称されるような人物だったようで、鉱山の発見のために南八甲田をくまなく散策していて熟知しており、その中でも八甲田最高の秘境として桂月に白竜峡の探検を薦めたらしい。 ガイドに人足付きというのはさしおいても、大正という時代にこの峡谷を踏破しようというのは、やはりすごいと言わざるを得ない。どうやらぼくのようにP川の下流から遡行したのではなくて某温泉から入ったらしい。当時は林道もないだろうから地理的にはその方が近いので当然かもしれない。 ついでに最近知ったことだけれど(これも恥ずかしいかぎりだが)根深誠氏も1980年代にカメラマン氏を同行して遡行しつり紀行文を執筆している。この当時は林道が通行できたころで、N滝近くまで車で行ったようで、行程的には楽だと思うが、地方出版社の文献とはいえ知らなかったのは情けない。 ついで言うと、桂月の文中に、白竜峡と双璧の秘境として「鬼門峡」という地名が出てくる。 この鬼門峡は、どうも、C沢のゴルジュのことのようだ。僕は仮称「暗門の回廊」(暗門とはゴルジュのこと)と勝手に命名したが、なるほど鬼門の方が言い得ているかもしれない。僕の仮称はいさぎよく撤収だ。 うむうむ。おどろきました。半分落ち込みましたけど、残り半分は、僕が感動したことも立証されたようで複雑な気持ちです。ただし、単独行は太田氏と僕だけだろうと勝手に納得していますが^^; 大町桂月の一節 「、、、上流は瀑布の連続にて、本流に十五六瀑あり。形似によりて、白竜峡と移す。左右の絶壁より直下する瀑布は、それよりも猶多く絶壁高きにつれて、銀河九天より落つるの観あること、到底奥入瀬川の諸瀑などの比すべきにあらず。、、、 、、、行程、六七里に過ぎざれども、全三日を費して、二回も野宿せざるべからず。斯ばかりに天下の至険也。三日の間、全く命掛け也。 余は一昨年の夏、小笠原臥雲と共に、太田吉司氏に導かれ、二人の人夫を従へて、此勝を探れり。天地開闢以来、この勝を探りたるは、唯この五人のみ也。人夫は恐怖し、たとひ何十百円貰つても、白竜鬼門二峡の御伴は御免を被ると云へり。、、、」 (桂月全集 から) 23の滝を越えて![]() テン場に荷物を置いて、カメラ、三脚、雨具、食料少しだけを持って、遡行を始めたのが早朝の5時。 クマに出会ったのが7時半。最初の高巻きを終えたのが、8時半ころだ。 そこから(つまりこのP川の大滝を越えてからだけでも)、源頭部までに23の滝を数えた。高巻きが2回、つまり21の滝を直登したことになる。そしてその日のうちにテン場に戻っているから都合、一日で46の滝を越えたことになる。(と言っても90mの大滝上には4m以上の滝は1本もないし、正確な滝の数はわからない。ナメ床のようなものも滝に数えるべきかどうか迷うものが数多くあったから。それに、支流の出合いの滝はカウントしていない。) (最近、環境保護等の都合により、実名を明記しないことがあります。でもよく読んでいればわかる人にはわかるようにアルファベット記入にも統一性を持たせるようにしました。僕なりの謎掛けです。単に登山とか釣りの情報を得たいとかだけではなくて、地形図を読めること、僕の本なりブログを通読している人であればわかるようになると思います。先日、このP川大滝に、インターネットから情報を得て、UU林道からショートカットする人に出合いました。ネット上にそういう情報が流れているのです。そしてその人は、その情報を元に入渓したら迷ってしまって別の沢に入って夜までさまよいえらい目にあったと怒っていました。僕はあきれましたね。正規の林道をちゃんと3時間歩けば大滝まではまちがいようがないのです。UU林道はだいたい営林署と東北電力のものであって一般車通行禁止のはずです。まあ慣例として一般車も通行できるようにはなっていますが、南八甲田にいちども来たことがない人がまともに通れるような道ではないし、ましてやネットの情報だけでコンパスも地形図もなしで沢に入渓するのは、一発で遭難ものです。無事に帰れただけで感謝した方がいいと思います。それを案内板もなにもないなどと怒るのは、おかどちがいと言うものです。 いじわるのつもりはありません。ネット情報の怖さ、環境保護の意識の足りない人たちに安易に情報をもたらすことを懸念してのやむを得ない処置とわかってくれることを希望しています。) この滝、実は帰路で、転落したのだ。この滝は2段になっていてこの滝の上にさらに3mの滝があるが、その滝を直に降りている時、足を滑らして滝壺に転落した。(カメラは防水パッキングしていたので無事)滝壺の流芯に巻き込まれないように必死で泳いだ。それで淵について立ち上がったらすぐこの滝があった。帰路で、ていねいな下降に気を使うほどの気力をなくすほど疲れていたし、どうせついでだと思い、この滝も飛び込んだのだ。帰路は夕暮れもせまっていて駆け抜けるように降りた。帰路に滑落などの事故が多いというのはこういうことですね、苦笑^^;はじけましたね。最高の気持ちよさ!) |