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銀河満天の夜![]() EOS1DsMark III / ISO3200 2008.5.9.AM3:13 一年間追い続けてようやく撮れた一枚。 これがISO3200なのだから、僕自身RAW現像上がりを見ておどろいた。銀塩フィルム時代ではあり得ない写真だろう。もちろん技術だけの問題ではない。八甲田の空の素晴らしさがあったらこそである。 この撮影は難儀を極めた。 長時間露光が難題を次々と持ち込むのである。冬は少しでも雪がちらつくとアウト。春は春霞と言って空の抜けが悪い。夏は雲が多い。満月近辺の夜は明るくてダメ。明け方近くはレンズが結露しやすくなる。風が強くても三脚がぶれてダメ。等々。 Web上では、満天にちりばめた星の圧倒する数のさまは伝わらないと思う。下に拡大写真を載せた。 ![]() ひとくぎりついて、、、
キヤノンカレンダーの編集もほぼ終わって、校正刷りをチェックするばかりまできて、一段落ついた感じです。
一年かけて撮りおろしということで、この一年で八甲田に入山して野営した日数は数えてみると100日を超えました。 ![]() 厳冬期は、この写真右側に見える北八甲田に主に入山しました。厳冬期の厳しさを考慮して避難小屋を頼ってのことです。八甲田の山小屋は北に二つ避難小屋があるだけで南にはありませんから。それでも雪山テント泊の方が多かったのですが、小屋が近くにあるという安心感に支えられて、ビバークでも怖れることはなかった。天候にも恵まれました。 冬以外はほとんど左側に見える南八甲田に入山しました。川を遡行し道なき森を彷徨し、源流で野営を重ねながら撮り歩きました。目の前でクマに遭遇したのも2回あったし(7月と10月)、黄瀬川を猿倉の源流まで遡上した時は、大小23個の滝越えを経てその帰り路に疲れ果てて滝壺にダイブしたこともあった。もちろんカメラ等は防水パッキングして覚悟した上でのダイブであったけれど。厳冬期の北八甲田ではマイナス20℃と風速20〜30mもの暴風でジッツオの頑強な三脚がぼっきりと折れたりもしたけれど、身体の方は凍傷ひとつなく遭難にも雪崩にも無縁でした。幸運に恵まれました。山の神に一年中感謝していたような気がします。 一年を無事に撮り終えることが第一。そう考えて冒険は控えました。控えたつもりです。安全な計画を立てたところで、山では常に危険と隣り合わせというもの。それを知り覚悟しないかぎりはむしろ傲慢というものであり、人の力というのは大自然の前ではその程度のものだと知ることが大事。そう考えて通した一年でした。冒険なら2005〜2006年の方がきつかった。逆に言うとその蓄積があったから2007〜2008年の撮影行が可能だったと思う。 実は今も冒険したくてウズウズしている^^;どうしても踏破したい箇所がいくつかある。かなりの難所だ。計画を立てたいのだがまだ動けないでいる。9月前には入りたいと思っているのだが。来年一月早々から全国巡回展も始まるのでその前に行くべきなのか後にすべきなのか逡巡しているところです。 岩魚の薫製八甲田全景-夕暮れと満天の星春の源流を遡上する![]() 2008.5.10 残雪がまだ深いこの季節に沢を遡上するのは危険が多いが、今年は20日以上も雪解けが早い。ならば行ってみよう。いつもと違う風景に出会えるかもしれない。慎重に足下をたしかめながら登って行った。 ![]() 4月25日に入った時、この川は完全に雪の下にあった。2週間で2mも雪が融けたのだ。こんなのは普通はありえない。今年の異常気象は度を超えている。 ![]() これだけの雪解け水があるのに水が濁らないのは奥山の自然の深さなのだろう。ブナの森の保水力の強さと一方で湧水の多さのおかげだ。芽吹きの淡い緑と澄んだ水の色に心が洗われるようだ。ミズバショーを縫うように岩魚が走った。ワクワクとして爽快な気持ちに包まれた。5ヶ月に及ぶ冬を越して生き物たちが躍動し始めた源流の春。この後、1時間あまりの遡行でこの沢は高田大岳の中腹で完全に雪の中に伏流してしまった。 ニコンD700
発表会が恵比寿でやっていたので、触ってきました。
画像はまだなんとも言えませんけど、カメラはいい感じですね。 *(D3より)小さい、軽い。 でもけっこう重い(995g)。まあでもD3よりはずいぶんといい。 *センサーダストリダクションがついている。 これはやはりついてないとね。 *防塵・防滴 これもデジタルには必須。5Dの扱いにはかなり神経を使ってますから。 **ファインダーは、ちょっとおどろくような見やすさでした。これはD3もよかったけれどこれもいい。レンズのナノクリスタルというコーティングも関係ありだろうか? ***案外だったのは、液晶モニターで、どうもファインダーの画(あるいは実物)との違和感をおぼえた。会場が暗めの室内なので屋外ならどうなのか、チェックしたい気もする。それから実際にカラマネされたPCモニターとのちがいもチェックしてみたい。デジカメの液晶は、きれいであるとか高精細であるとかよりまず第一に、現物に近い色であるかどうかの方が大事だと思う。「きれいに見える」だけのモニターは困るのだ。いい写真が撮れたと勘違いしてしまうからだ。 キヤノンの5D後継機は、カメラ機能面でこういう点をクリアしたものを期待したいですね。秋には出そうなので今更言ってももう遅いかな(笑)。 ニリンソウ
ニリンソウというのは、特別かわったところもなくとりたててきれいというわけでもないというそういう花なのだが、
時としてこの花は、鬱蒼とした森の中で一斉に開花していることがある。それはみごとなものだ。薄暗い森の中できらめく宝石のように輝いていてまのあたりにするとハッと息を飲むほどなのである。 ニリンソウ(二輪草)というけれど、一つの茎に3個の花をつけている場合もある。ニリンソウ(二輪草)はイチリンソウ(一輪草)の対語として使われたのだろう。キクザキイチリンソウが先に開花し、枯れたころニリンソウが咲く。 ![]() ![]() 2008.5.11 途中から茎分かれして二輪や三輪になっていることがわかる。 ![]() 下の真ん中の花は、完全に三輪だ。 ![]() 近頃、深酒が過ぎたようで反省しきりです。記憶をなくすまで飲んではいけませんね。しばらく節酒を心がけます。 近頃、と言ってもここ2年ぐらい前からのようです。なにしろ記憶をなくしてしまうので定かでない(苦笑)。どうも山帰りの反動が出ているのではないかと言い訳する(笑)。すみません、皆様、ご迷惑おかけしました。 日影沼![]() ![]() ![]() 2008.4.30 南八甲田/日影沼 日影沼という名前があるのを知ったのは、蔦温泉の小笠原哲男さんに聞いてからだ。彼は今はビジターセンターの管理人でもあるが、40年も前からみやげもの屋を営んでいて蔦の生き字引のような人だ。きさくな人で話好きで、僕は彼からいろいろと蔦の自然について教えていただいた。奥さんは蔦温泉の娘さんである。ご夫婦共々、僕の親父のことを知っていて、「私どもは、岩木さんのお父さんには生前にずいぶんお世話になったんですよ」と言っておられた。僕は晩年の親父と同行して釣りの帰りに、みやげもの屋でそばを食った記憶ぐらいしかないが。 日影沼は、赤沼のさらに上、標高で100mほど登った赤倉岳の中腹にある。道はなにもないが、2万5千分の一の国土地理院の地図には載っている。残雪期ならあっさり登れるが、夏は薮も深いし地図とコンパスがないとさがすのに苦労するだろう。 名前のとおり日が当たらないところでまだ凍結していた。青氷が美しかった。 牧場の朝焼け![]() ![]() ![]() バオバブの木にも見えるが、別にアフリカではない。八甲田の牧場の風景。2008.4.30 八甲田の山麓にはけっこう牧場が広がっている。田代平とか大中台とか大幌内とかあって、主に八甲田牛や十和田牛や南部牛という種を主に自然放牧で生産している。「南部牛追い唄」という民謡もあるくらいでもともと牧畜が盛んなところであった。以前は馬の生産も多かった。ただし牧場生産は近代になってからのことで、かつては原生林放牧であった。牧野組合というのがあって、この人たちはかなりの奥山まで牛馬を連れて入り込んでいたのだ。馬の生産は青森県だけでなく岩手までも含めた南部地方の特産で古代から優秀な馬を生産していたのである。鉄(南部鉄)と馬(南部駒)と金(金山は気仙や鹿角や津軽など各地にあった)の生産は古代から大和朝廷を凌駕していたのである。それが戦争の火種だったのだ。とりわけ強くて速い蝦夷の馬は京の都へ行くと通常の10倍もの値段で取引されていたらしい。蝦夷の騎馬軍は古代から近世にいたるまで最強であったのだ。 平泉とみちのくの自然
平泉の世界遺産登録はならなかったようで少し残念だが、一方で世界遺産ばかりありがたがるのはどんなものかという気もしないでもない。
平泉をなぜとりあげたかというと、この地は、阿弖流為の戦いから連なり後の南部九戸党の反乱にまでいたる、東北人の原点とも言えるところだからだ。それは南部人へと連綿と連なるものだ。東北人とはちとあいまいかな?蝦夷(えみし)と言えばいいか。もちろん蝦夷なる言葉は、大和朝廷側の差別言語であるが、それ以外に適当な言葉がない。「みちのく」と言ってもいいが、それですら「道の奥」というあからさまな朝廷側の差別言語とも言える。陸奥の国とは「道の奥」からきている。芭蕉の「奥の細道」もおなじ意識水準だろう。 大和朝廷-公卿-武家政治社会とは異なる反大和ー蝦夷社会を歩んできた歴史が日本にもあったということ、日本は決して単一の民族国家ではないということを知っていてもいいと思う。ちなみに蝦夷(アイヌ)は、蝦夷(えみし)とは厳密には違うものだし、時代的にもアイヌは近代以降に歴史上に登場してきたものだが、朝廷側からすれば同じように蔑視すべき対象として同じ言葉を使ったものだと思う。ただ、北東北の各地にはアイヌ言葉が数多く残っているところから推測すると、アイヌも蝦夷(えみし)も元は同じ言語-文化を持っていたと推測する方が自然だと思う。朝廷側は蝦夷(えみし)の民を人とは扱っていなかった。けものであり俘囚(ふしゅう)であったのだ。 そういう大和朝廷の侵略・支配に対する戦いこそ、阿弖流為・母礼(アテルイ・モレ)、貞任(さだとう)、奥州藤原、九戸政実、と続く東北人の人間解放の闘いそのものだったのだ。羅城門の毘沙門天は北を向いている。鬼門とは北のことである。鬼畜である蝦夷(えみし)を差しているのだ。敗北もまた北である。敗南という言葉はない。源義経をかくまったのは奥州藤原である。義経は平泉から津軽に逃れて十三湊から宋へ渡ったという伝説が北東北にある。(余談だが、三戸には、キリストの墓もある。ヘブライ語の民謡もある=「なにゃどやら」。蝦夷の国は楽土であり浄土であるから、敗北者も異教者もみな赦し受け入れるのだ^^;) (ほとんど高橋克彦さんの蝦夷3部作『火焔」「炎立つ」「天を衝く」の受け売りです^^;) 「奥州の戦乱で亡くなった多くの人の霊を弔い、敵味方はもちろんのこと、鳥や獣また虫類にいたるまで、極楽往生できるように」、、、とはみちのくを大和とはちがう「楽土」にしようとして平泉を建立した時の藤原清衡の口上である。鳥や獣また虫類にいたるまで、というところがおもしろい。1000年まえにすでに自然との共存を謳っている!これで当ブログとつながりました^^; 岩魚
岩魚は恋人のようなもの。
南八甲田へ行けばまずお目にかからないと気が済まない。 川で元気な姿を見ればホッとする。姿を発見できないとなんだか落ち着かない。 NaturePhotoを撮るきっかけも岩魚釣りからはじまっている。 川が汚れれば岩魚は棲めなくなる。 温暖化が進んで水温が平均2℃も上がれば八甲田ですら岩魚は激減するだろう。 岩魚は、淡水の最上流に棲む魚であり、その意味で淡水魚の頂点にたつものだ。岩魚がたくさんいればその川は豊かである言ってまちがいない。熊がたくさんいればその森は豊かであるということといっしょである。豊かな森のメルクマールは、岩魚と熊にまちがいないのである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ああ、岩魚の棲む渓は、いつ見てもこれほど安まるものはない。 岩魚と山ウド |