写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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悪い流れの時は、

蔦川
高田大岳と蔦川の朝焼け  2010.4.21 

ここは、例年の八甲田春連休キャンプ地付近の風景ですが、残念ながら今年は行けません。スケジュールがタイトなこと、3月に負傷した肘が腫れておもわしくないこと、参加メンバー_カーシマくんのカミさんが入院していること、(それからうちの猫が尿道結石みたいで通院していること^^蛇足)ほか諸々が重なったので、そういう流れだということで流しました。悪い流れの時は無理をしないことです。僕は、連休明けの、5月24日「三本木 夢と生命の森」のブナ植樹祭に合わせて現地入りするつもりですが、それまでひじを治して、スタジオの仕事ほかをかたづけておこうと思ってます。

 連休に東京にいるのは何年ぶりだろう?
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2010.04.30[Fri] Post 19:33  コメント:2  TB:0  日誌  Top▲

白糠_下北

草間彌生さんが唄いだしたのには驚きました。
十和田市現代美術館グランドオープンのレセプション会場での挨拶の時です。
80を越える高齢で足元もふらつき、発する言葉もままならない様子だったのに詩を朗読し、歌を唄いだしたらスムーズでかろやかでした。幾分高揚しているようでした。ていねいな挨拶。一生懸命なアピール。なにか彼女の作品に通じるものがあって感動的でした。

 オープンスペースの建築物よりも、やはり僕は企画展示されている作品の方に惹かれるものがありました。特に「ぶどう」という絵が特別だった。吸い込まれて身体が揺れ動くような感覚を覚えました。この「ゆらぎ」、ああ同じだなあと僕は思った。自然の中にある「ゆらぎ」!

2日前に白糠(下北)で見た光景を思い出した。

その日早朝から僕は下北を走っていた。小川原湖から太平洋沿いを車でとばした。1時間も2時間も走ってもまだまだ「何もない」光景がえんえんと続く。果てしなく深くまだ人をよせつけない自然がここには残っている。大掛かりな原燃の施設や風力発電のウインドファームなどもここでは点在に過ぎない。ロケハンのつもりがまる一日かけたのに下北半島の1/3しか回れず、夕暮れになって白糠に着いた。子供の頃、漁師の親戚を訪ねて滞在した記憶がある地だった。ふと海を見たくなって県道をそれて海岸線へ出てみた。

なにか白いものが見えて、貝殻でも捨てられているのかと思った。
ウミネコ
2010.4.21 EOS5D Mark II EF70-300mm f4.5-5.6 DO IS USM

ウミネコだと気がつくのに数秒目を凝らす必要があった。カメラをとりに車へ戻った。

ウミネコ

近づいてみよう。堤防を越えていく。静寂が少しづつ破れて敏感な数羽が飛び始めた。

ウミネコ

まもなくなだれをうつように舞い上がった。
ものすごい数。

何万というウミネコの大群舞 。(空にアリのように、岩場にも白く一面びっしりに見えている)
その圧倒的な量が、”海岸とウミネコ”というありふれた光景を、弁証法的に一変させて、別次元の光景を生み出したかのようだ。

ウミネコ

ウミネコ

ウミネコ


よどみのないリズムで群舞している。高速で何万も飛び回っているのに一羽も衝突しない。僕は圧倒されて、身体も心もゆらぎながら、心地よく陶酔したように見上げていました。
2010.04.27[Tue] Post 15:51  コメント:2  TB:0  下北半島  Top▲

渓流冬
2010.1.14 南八甲田  EOS5D Mark II EF17-40mmF4L


来週おそらく更新できません。南八甲田に入るつもりです。

きのうは飲み過ぎました。神田の某編集部に納品に行ったら、飲みにいこうということになって総勢6人で焼き鳥屋へ。最初、ジョッキでビール、ついで熱燗を2合、冷やで2合か3合(?)、にごり酒を3合(?)、だったかなあ?もうそこから記憶がない。金を出した覚えがないのでたぶん編集部のおごりだったのだろう。そうでないんだったら今度払いますね、Mさん。ごめん。ここの編集部には20年来世話になっている。どうもありがとう。その後は渋谷のんべえ横町に行ったようないかないような?その後、大田区の地元へ戻ってそこでも飲んだような飲まないような、、、。家にはちゃんと帰ったらしくて、廊下で寝ていたそうだ。その背中に猫が寝ていたそうだ(ムスメの話)。なんて飼い主思いの猫なんだろう!記憶のない時間帯にどこかで誰かに迷惑をかけたかもわかりません(汗)。ごめん。(とりあえず謝っておく^^;)
 たまっていたものとりあえずひとくぎり片付けたので気が抜けたのかもしれない。ヤレヤレ。どうも酒弱くなったようだ。
2010.04.16[Fri] Post 19:07  コメント:4  TB:0  日誌  Top▲

スケジュール連絡

4月23日~24日の十和田市現代美術館グランドオープニングのレセプションほかに出席する予定。
2010.04.14[Wed] Post 13:27  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

山食

野営の時に何を食べるかというのをいつも思案している。

一番の悩みどころは重量である。できるだけ軽くしたい。

僕はいつも荷物をギリギリに絞っているが、それでも夏で15kgはある。
1週間の野営のための全重量のことだ。カメラ、三脚、テント、シュラフ、着替え、食料ほか全部背負った重量だ。これでもおそらくテント泊経験者が聞いたらおどろきの軽さだと思う。余分なものは一切切り捨てるという覚悟がないと絶対にこういう軽さにはならない。さすがに冬は20Kgを越えるかな?先日、秋田の山岳写真家大川清一さんに会ったとき聞いたら彼は40Kgだと言っていた。ま、彼の場合は少し極端だと思うけれど。なしせ彼は元自衛隊空挺団で肉体の作りが半端ではないから。鳥海山に20回登頂したという猛者である。冬に北八甲田で会った時、ペンタックス6×7を2台持っていた。これだけで僕のカメラ機材と比べたら10kgは重くなるだろう(三脚も倍以上の重さのものが必要になる)。

 で、食料の話にもどるが、
軽くできるのは、豊かな南八甲田の自然の恵みのおかげでもある。岩魚と山菜は冬以外ならいつでもまちがいなく採れるからだ。あとは主食があればいい。だけど米も麺類もそれなりに重い。ここをいつも工夫している。このあいだはナンの粉を持って行って試してみた。まあまあだが、いまひとつ。材料含めて研究が必要だ。ナンの粉のいいやつがあったら教えてほしい。

 それで今回は、伝統的な保存食干し餅をためしてみたわけです。軽いのが何よりの魅力。

干し餅
そのままでも食べれるのだが、ボソボソして食が細くなる。そこで、一回水に浸す。それからコッヘルで焼く。これで別物になる。甘みが出て餅の柔らかい食感も取り戻す。これはかなりいけますね。腹持ちもいいし。
干し餅
2010.04.14[Wed] Post 12:03  コメント:4  TB:0  食べ物  Top▲

ライブハウス_「ウッドカンパニー」

ウッドカンパニー
小川原湖沿いで僕の古くからの友人(米内山正人)がロック系ライブハウスをやっている。ウッドカンパニーという。0176-56-3930(金曜、土曜、夜9時以降)

 正人は、贔屓めなしで日本でも数少ない本物のロックギタリストだ。2作目のCD「Lake Song」でくりひろげた佐山雅弘(P)とのセッションは圧巻だった。思わず僕の脳裏には、渡辺香津美、寺内タケシ、山下洋輔の渋谷「ジャンジャン」セッションがうかんだくらいだ。

 ひさしぶりに訪ねて、カミさんのじゅんちゃんと3人で酒を飲んだ。今度の企画(ナイショ^^;)でギター弾いてくれないかと頼んだら快諾してくれた。乞うご期待!
ウッドカンパニー
2010.04.12[Mon] Post 15:59  コメント:0  TB:0  音楽  Top▲

十和田市_八斗沢付近_日の出前

十和田市
2010.1.15 AM 05:11

十和田市は、三木野ヶ原台地というくらいで台地状の平原になっている。市街を少し抜けると延々と田んぼや牧場が広がっていて、車で走るには気持ちのいい農道がいっぱいある。丹念に探し歩いたらきっと素晴らしい田園風景を撮れるだろうと思う。そのうちいつか撮る。
2010.04.09[Fri] Post 18:20  コメント:8  TB:0  十和田市  Top▲

小川原湖_凪ばかりの朝

小川原湖
2010.3.3 EOS5D Mark II EF20mmF2.8

”凪ばかり”と詠んだ寺山の見た海は、ここだろうか?陸奥湾だろうか?変化を求めて跳び続けた寺山は、その染み付いた凪ばかりの風景を払拭したかったのかもしれないなあなどと考えながら小川原湖の朝を来る日も来る日も歩いた。寺山は、同郷の太宰治も永山則夫も辛辣に批判した。太宰はすでに没していたからかなわないが、永山は「反ー寺山修司論」で反論している。永山の死刑執行がなかったら老成した後の永山の寺山論がちがっていたのではないかと思えてならない。
 寺山が没したのは5月4日です。享年47歳。永山は48歳、太宰は38歳でした。
小川原湖
そろそろ山へ入りたいが、雑務に追われてます。5月末に2.3週間入るつもりですが、その前に一回予定組めるかどうか?
2010.04.08[Thu] Post 13:30  コメント:1  TB:0  小川原湖  Top▲

小川原湖_六ヶ所村

小川原湖
2010.2.27  EOS5D Mark II EF24-105mmF4L IS

今年は、4年ぶりに結氷したそうだ。だがすぐ融けてしまったが。近くの内沼は完全結氷していてワカサギの穴釣りの人がたくさんいた。
「昔は全面結氷してバイクで横断したこともある」と友人が言っていた。そのころ僕も内沼ではなくて小川原湖で、穴釣りを親父に連れられてした記憶がある。バケツ一杯になるほど釣れた。もうそういう風景は見られないのかもしれない。

黒ガモが愛嬌たっぷりにチョロチョロ歩き回っていた。
2010.04.05[Mon] Post 09:07  コメント:4  TB:0  小川原湖  Top▲

小川原湖の伝説_古代東北の夢

小川原湖
2010.3.3  EOS5D Mark II EF24-105mmF4L IS

ここは東側に山がないので、湖面に美しく朝陽が差すところです。

このあたりを中心に古代は、糠部という国で、八戸から岩手北部の二戸あたりまで網羅していたようです。
「続日本紀」(770年_宝亀元年)によると、
蝦夷宇漢迷公宇屈波宇の反乱というのが出てきます。
大和朝廷に対する蝦夷(エミシ)の最初の組織的な武装蜂起と言われていますが、
この「宇漢迷(ウカノメ)」が糠部(ヌカノベ)ではないかという説があります。
小川原湖西側の東北町には、「日本中央」と記された「都母(ツボ)の石碑」が昭和24年に発見されている。坂上田村麻呂がアテルイを破って蝦夷を制圧した後、これを発見して、こんなところに日本(ひのもと)中央があるのは捨て置けんということで碑の裏面の記述を削ったという説まであります。真偽論争はいまだに続いているので定かではないけれども、古歌で「つぼの碑」として多くの歌人にうたわれているいるのは事実。縄文遺跡が数多く出土しているのこと、近くの三内丸山の遺跡が縄文史の常識をくつがえす規模のものであったことも事実。
 だから現代では想像しにくいけれど、ここ糠部は、縄文から古代にかけては「倭の国」とは別の古代東北文明の中心地だったのではないかというロマンを抱かせるところなのです。

 (高橋克彦氏によると、「ひのもと」の「ひ」は「斐」であって、斐の国=出雲のことであるという。出雲で、「(古事記にある)「国譲り」があって、天孫系に敗れた出雲王国の人々がこの地に移り住み、ネイティブの蝦夷人と共存していた。それゆえ「斐の国の中央」という碑が必要だった。という仮説を唱えている。ちなみに岩木という苗字の出自も出雲の近くの石見だそうです。蛇足^^;)
2010.04.01[Thu] Post 13:52  コメント:2  TB:0  蝦夷の国  Top▲

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