写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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斉藤和義「ずっと嘘だったんだぜ」



最後まで聞いてください。2小節目からが替え歌です。
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2011.05.31[Tue] Post 21:36  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

清志郎と斉藤和義!



プルサーマルの六ヶ所、フルMOX燃料の大間という最大級のモンスターを稼働させようとしている青森県に来ています。知事選は6月5日です。銭勘定だけで投票していいのか、みなさん考えてください。
2011.05.29[Sun] Post 14:31  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

第三次現地入り支援について

あさってから、青森入りして一週間滞在、その後、大船渡に入り、TSTSTのメンバーと合流して、被災地入りー支援活動をおこなう予定です。

先行する僕の車には、フィッシュソーセージ1000本、ノートパソコン、長芋ダンボールで7箱(青森で入荷予定)コーヒーサービス用セットなどでもう一杯ですが、後発隊は車2台で、まだ積載余裕があります。そこで支援物資を以下要領で募集します。


・衣裳ケース(新品)*モスボックスでも可能 
 (今回の輸送では運びませんが、次回以降持参予定のため募集します。)

・タオルケット(新品)
・長靴(新品)
・サンダル(新品)
・靴ひものないタイプのシューズ(新品)
・米(できたら5kg袋)
・水(ペットボトル1.5L~2L。未だに給水車に依存している地域が沢山あります)
・トイレットペーパー
・ティッシュペーパー
・基礎調味料(砂糖・塩・みそ・しょうゆ・ケチャップ・サラダ油など)
・日焼け止めクリーム
・ハンドクリーム
・台所洗剤
・洗濯洗剤
・制汗スプレー
・その他食品(缶詰類ほか。賞味期限にご注意ください)

<物資の送り先>
スタジオシャオ 小西徹宛
〒135-0004
東京都江東区森下2-8-2 マンションタカホ1F2号室
TEL 03-3635-7273

生ものをお送りいただく場合は恐れ入りますが事前にご連絡ください。
上記以外の物資をお送りいただく場合も、恐れ入りますが事前にご相談ください。

第二次支援活動の報告は、TSTSTの報告サイトをご覧ください。http://tstst.blog101.fc2.com/


(ゴンタ、しずかに眠るように永眠しました。一ヶ月もよくがんばったね。)
2011.05.26[Thu] Post 12:03  コメント:3  TB:0  日誌  Top▲

東北の謎の神に会いにいく

 花巻ICで降りて被災地大船渡へ向かう途中で、偶然にも「丹内山神社入り口」という看板を見つけた。何年も前から訪ねようと思っていたところだが、それを被災地支援に向かう途中で発見するという偶然に驚いた。
 今回の旅は、いくつもの不思議な偶然が重なり続けて驚かされた。飼い猫のゴンが癌になり予後1~2週間と病院で告げられた日に母の訃報を聞いた。

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(その後、ゴンは生きている。予後1~2週間と診断されてからもう一月、今日、病院で、腫瘍が小さくなっていると言われた。医者も驚いていた。エサはまったく口にせず、点滴だけなのに回復しはじめている。2週間前と比べると毛並みもきれいになった。少しふっくらしてように見える。なんだか凄い。)


 そのあたりからなんだかおかしかった。ウィンドファームを見に行くと、風速35mという年に一回あるかどうかという強風。恐山ではおよそ見たこともない風景。下北ではウニ丼という看板に釣られて急ブレーキをかけて止まったメシ屋の帰り、ついでに海を見ていこうと誘って海岸に出たら、信じられないくらいに美しく青かった海。その先に見えたのが予想もしていなかった東通原発。十和田では新渡戸記念館館長の明さんに偶然会って3人でコーヒーをごちそうになった。新渡戸家の本家は花巻にあり、その花巻でICを降りて丹内山神社を見つけた。TSTSTのメンバーの宿は遠野で宿の裏が南部神社といって八戸南部氏ゆかりの神社。その神社ののぼりにあった新渡戸仙学謹書という文字。十和田市現代美術館での展覧会のオープニングは、母の初七日明けの日だった。旅の先々で偶然の重なりに驚いていたのは僕より同行したふたりであった。

 極めつけは、この神社訪問の帰り道だった。ガソリンスタンドで補給した時のメーターが999999!高速道のゲートが上がったら、100.000に!!同乗3人とも眼を回した。

で、丹内山神社だが、
奥州平泉初代の藤原清衡が郷社として祀ったとされる神社だが、アラハバキという、東北で古代から信仰されてきたと思われる謎の信仰の本殿とご神体の磐座(いわくら)がある。

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一の鳥居は最近再建されたものだ。本殿とは何百mも離れていて、その規模の大きさにまず驚かされる。今は参道の跡形もないが、おそらく天皇系に直接間接、弾圧されて破壊されたのだろう。古代から、アテルイにしろ安倍貞任にしろ奥州藤原にしろ、東北の民は、天孫系を奉ってはいない。大和朝廷の侵略に対して何百年と抗らい、「服(まつ)ろわぬ民」として生きてきた。そのその精神的支柱としてアラハバキ神は、ことごとく弾圧され破壊されてきたと推測するのが妥当である。わずかに残されてきたものでここのほかには、津軽と秋田と宮城にいくつかあるそうだが、僕は見ていないのでなんとも言えない。なぜかというと、アラハバキ神信仰は、茨城とか浜松とかにもあったりするが、どうもこれは客人神(まろうど)らしい。大宮の氷川神社ももとは「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたようだが、これもよくわからない。氷川は斐川とも読める。出雲の斐川だ。東北の蝦夷(エミシ)と共闘関係にあったとされる物部氏は、出雲から東北へ逃れてきたようだから、関係ありそうな気もする。

 いずれも類推の域を出ない中で、この丹内山は本物だと思う。藤原 清衡が正式に祀っていたわけだから。その叔父の安倍貞任も、阿弖流為(アテルイ)も、と思われる。地理的にもあっているし。

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二の鳥居からの参道もかなりの山道を歩く。参道はいってすぐに古いりっぱな邸宅が2軒ならんでいた。別当もしくは宮を代々守る人の家だろう。「古屋」とあった。

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ようやく本社入り口にたどりつく。中野、加藤両氏はうしろの方でぜいぜい言っている(笑)

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「爺杉の根株」

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苔むした境内。

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これは本殿ではない。相伝(観音堂)とある。

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四の鳥居を越えてようやく本殿にたどりつく。

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ふしぎな飾り物を見つけたが、鉄の融けたかたまりではないかと思う。
アラハバキは鉄の神でもあるそうだが、物部ー出雲とのつながりを考えれば、「たたら製鉄」で融かしたものを飾ってあってもおかしくない。

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本殿も相当に古くて興味深いけれど、その裏にあるものこそご神体ー磐座だ。

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胎内石!そうなのか。丹内山というぱっとしない名前だと思っていたが、胎内山ではないのだろうか?

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「神名・由来ともに不明」(柳田國男『石神問答』)という謎の神。高橋克彦の『火怨』で、蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為が、あるいは『炎立つ』では安倍貞任が、御神体である磐座の前で、巫女により、ご神託を受けるというシーンがある。おそらくその神体こそここにある磐座だろうと思う。貞任はこの岩にのぼり正座しているうちにアテルイが天から降りて乗り移ったのである。


 で、僕もこの岩に登った。巨岩の上に木が生えていた。

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(photo by Emiko Kato)

そしたら加藤さんが
「そんなことしていいの?」と言う。

「いいんだよ、おれは」となんとなく言った。
「この神は、天皇家の神とは違うんだ。ひれふす必要はない。なでたり触れたりする方がいい」と適当に言った。でもたぶんそうだ。磐座は神そのものではない。神が天から降りてくる場所だ。阿弖流為(アテルイ)も安倍貞任も千年も前にここに登ったと思いをはせながら岩に生えた木を見上げていると、加藤さんが叫んだ。

「あっ、岩木さんが岩木に登ってる!」

「えっ?」

なんか馬鹿げたことだけど、そのことに初めて気づく。

「そうか!これはおれの先祖だ。岩木登は成就したのか?」

3人で大笑い。(くだらない話ですみません)

中野さんにも登らないかと聞いたけど、「いや僕はやめておきます。」

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帰り道、目つきの怪しげな猫に出会って、その後ガソリンスタンドで、9が5つ並んだ。


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2011.05.23[Mon] Post 15:12  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

来週現地入りの予定

5/28から青森に入って、大間あたりを取材、その後、青森の野菜類リンゴジュースほかを仕入れて、大船渡周辺には6/3~5ごろ支援にはいる予定です。
2011.05.21[Sat] Post 21:47  コメント:0  TB:0  未分類  Top▲

TSTSTサポーター紹介:現代美術家、清水玲(Ryo Shimizu)氏

TSTSTサポーター紹介:現代美術家、清水玲(Ryo Shimizu)氏
http://ryoshimizu.jp/

十和田市現代美術館の企画展で知り合った清水氏。清水さんは、食料や飲料等たくさん支援物資を届けてくれました。ありがとう。またいっしょに飲みましょう。日本のみならず世界で注目されている清水氏の作品は上記のHPで見ることができます。
2011.05.18[Wed] Post 10:57  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

TSTST現地支援活動第一次のムービー

小城崇史さんの撮影・編集です。


第二次現地支援活動のムービーは、編集中です。近々アップします。

TSTST(東北支援東京写真家チーム)のサイトは。こちらです。
http://tstst.blog101.fc2.com/


2011.05.18[Wed] Post 10:01  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

善意の支援、という低いレベルで語るべきことではない

 近世の東北地方、とりわけヤマセが吹く太平洋沿岸地方は、3~5年の割合で、凶作、飢饉が続き、大飢饉の年は、例えば南部藩だけでも5万人、津軽でも同等の餓死者を出したりした。これは天災というよりは、人災であった。大和朝廷の全国支配という政治目的のもとで、水稲に向かない地でそれを強制されたからだ。冷害を乗り越える品種が開発されたのは、わずか4、50年前のことである。藤坂5号という冷害に強い品種が開発されてそれが大ニュースになったのは戦後のことだ。僕は小学校の社会科でそれを習った記憶がある。藤坂試験場は十和田市にある。藤坂は母の生地だ。粟(あわ)めし、稗(ひえ)めし、干し菜(大根の葉っぱ)汁の話はよく聞かされたもので、中世以降の東北の苦難の歴史というのは、近畿人ー中央権力による蝦夷(エミシ)_東北人に対する排外的・差別的政策によるところが大きいと僕は常々思う。そして東北人とは単なる地域のことではない。当時の支配者_近畿人に対抗した人々は、例えば熊襲であったり隼人であったり出雲であったりそれらはすべて東北人と同等なのだ。それらの人々こそ原日本人であり日本の心を残してきた人々だ。近畿人のように。”儲かりまっか”を挨拶に使ったりはしない(笑)。
今また福島の現実を見よ。いまだに変わらないのか。原発もまた支配者の地にはない。

だけど東北人は強いよ。またきっと苦難を乗り越える。

古代縄文文明の中心は東北であった。人の絆を大切にし、人と同じように自然を大切にしてきた。それが現代においても日本人の心と生活スタイルの基底になってきたのだ。それが少しづつ失われていく趨勢のなかで、今回の大震災が起こったのだと思う。

きのうBS NHKで、サンデルのハーバード白熱教室があった。「Harvard for Japan」というTシャツを着た教授と学生たちの東北大震災についての公開討論であった。未曾有の大災害のなかでも東北の人たちは、品位と礼節を忘れず忍耐強く戦い続けている。その姿は、世界中の人たちに驚きを与えているということが見て取れた。

 私たちの支援は、一方的なものではなく、支援する私たち自身が多くのものを受け取ることができるという対話的なものだ、というサンデルの発言は同意できる。

 私たちはこの震災から学ぶことができる。今回の震災は、私たちを変える。いやもう変わっている。震災前の生活に戻ることはできないということ。現代日本の歴史と生活は、有無を言わさず変わるということ。どのように変わるのか?それはまだ私たちにもわからない。ただもうけっして元には戻れないということは確実だ。これが解らないただ頑迷な脳みそは今は何の役にも立たない。

 人は、誕生してたった20万年で地表を変えた(BBCネイチャーシリーズ)。長年、地球と人のバランスは保たれてきたけれど、この60年で総人口は3倍近くに増え、石油エネルギーを無限に消費したあげく、核というモンスターを作り出しあらゆる生き物の息の根をとめようとしている。

それら根源的で普遍的な問題が、東北大震災から発せられているということ。全ては経済優先という現代社会を変えていけるのかどうか?

 私たちは、この震災支援に真剣に取り組まなければならない。そこから、未来のために学んでいかなければならないということだけが今、確実なことだ。

こんなにクソ真面目なことを考えているのは僕自身も30年以上前の学生の時以来かな?(苦笑)

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東通原発を見た後、日本三大霊場_恐山に行ってきました。普段は静かな宇曽利湖も湖水が巻き上がる異様な風景。


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ひょうが降り風が荒れ狂う。

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賽の河原も強風のため立ち入り禁止になった。

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2011.5.2

貞観津波は869年と言われているけれど、恐山の開山は862年である。
下北では、人は死ねば恐山に行く、と言う。
実は僕たち三人(中野、加藤、岩木)は、二日前にも下北に来ていて、その日入山するつもりだったのだが、なんとなく疲れがたまっていて、その日(30日)は中止にした。その日にしていたら入山できなかった。開山が5/1らしい。それで5.2に来たら、土産物屋の人が言うように「普段なこんなんじゃない」という素晴らしい(?)嵐!その偶然の幸運に3人とも少しぎょっとして、苦笑い^^;

東北支援東京写真家チーム(TSTST)の第二回支援の報告が連続で上がっています。
こちらhttp://tstst.blog101.fc2.com/
2011.05.16[Mon] Post 12:04  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

Hearts Towada exhibitionはあすまで

十和田市現代美術館で開催中の震災復興支援企画展 Hearts Towada Exhibitionはあす最終日です。
デーリー東北の連載記事を紹介します。

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2011.05.14[Sat] Post 11:40  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

暴風の下北半島

2011.05.13[Fri] Post 15:42  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

TSTST支援活動の報告サイトを立ち上げました

TSTST支援活動の報告サイトhttp://tstst.blog101.fc2.com/

今回の現地入りで新たに参加した、現役バリバリの編集者Tさんの渾身のレポートです。ぜひご覧になってください。続編もありますよ。
2011.05.13[Fri] Post 14:11  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

私たちは、大自然に畏敬する気持ちをおきざりにしてきたのだ。

下北半島_東通原発の海は暴風で荒れてました。

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2011.5.2

偉大さに畏怖せよと言っている。私たちは、大自然に畏敬する気持ちをおきざりにしてきたのだ。






2011.05.11[Wed] Post 13:09  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

報告会のお知らせ

TSTST(東北支援東京写真家チーム)第2回現地入り支援活動の報告会を開催します。
本日午後7時~10時  恵比寿ガリバースタジオ 渋谷区恵比寿1-26-15尾花ビル3F ガリバースタジオ(岩木登)
JR恵比寿駅 地下鉄日比谷線恵比寿駅から8分 090-3317-7918

現地入り_炊き出し等の報告をムービー、スライドショーを交えながら報告。はじめての方もどうぞご参加ください。
2011.05.11[Wed] Post 11:22  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

再処理工場の暗雲

浜岡原発を止めたのは一歩前進だと思うけれど、他の原発は大丈夫、というのはどういうことですか?とりあえず東京に被害が及ばないならいいということか。東京が大事、東北の片田舎は汚染されても構わないと。ここで福島並みの事故が起こると、三沢市、東北町、十和田市、七戸町等が軒並み30km圏内に入る。


4月7日の余震震度5で、外部電源全てを喪失した青森県六ヶ所核燃再処理工場
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2011.5.2
2011.05.10[Tue] Post 14:39  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

六ヶ所のウインドファーム(風力発電)

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2011.4.30

青森県六ヶ所村の核燃再処理工場の現場に行けば、風車群が林立している。風力発電用のウインドファームだ。これは、再処理工場の日本原燃とは関係のない経営だ。2つの企業で計55基、パンフによると総計56基とあるので、どうやらもうひとつはNPOなどが出資して立てたものらしい。

かなり巨大で圧倒される。再処理工場に隣接している、というか、それを囲むように立てられている。カラフルな円柱建築物は、石油備蓄基地だ。これが再処理工場のすぐとなりにある。これが信じられない。事故がおこったら石油も使えなくなるとは思わないのだろうか?

このウインドファームは、青森県では尻屋とか竜飛崎にもたくさんある。風力発電は、天候に左右されるとか、騒音問題があるとか、発電効率が悪いとか、いろいろ言われているけれど、主に原発利権サイドの宣伝が大きいので間に受ける必要はない。下北には広大な原野が広がっているし、近くに人家もないから騒音問題も生じない。発電効率が悪いのは開発費がみんな原発にまわっているからで、原発にあてられている膨大な税金を自然エネルギー関係にまわしたら効率はずっとよくなるだろう。地熱発電もある。ちなみにアイスランドは自然エネルギー発電で90%以上をまかなっているそうだ。

当日は、ものすごい強風でまともに立って歩けなかった。この後、恐山に向かいました。もっと凄い風。ヒョウも降ってきて、、、。次回。

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2011.05.09[Mon] Post 14:08  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

ゴンは元気になったようです


アラハバキのパワーかな(^-^)/
2011.05.08[Sun] Post 17:05  コメント:0  TB:0  未分類  Top▲

支援ご協力ありがとうございました 追記ミーティング

長い長い二週間でした。母の葬儀、十和田市現代美術館での展覧会とギャラリートーク、下北半島の原発、再処理工場、ウインドファーム、恐山ツアー。岩手被災地へ物資運搬と炊き出し、さいごに丹内山神社、福島をまわって帰京。

ぼちぼち報告をアップします。報告サイト準備中です。

まず、TSTSTの第二回支援活動は、大成功です。支援していただいた多くの皆さんに感謝します。コーヒー豆を10KGも用意していただいたNaokoさん、ナンとカレーを1000食を集めてくれた矢野たち、手作りの焼豚とスモークチーズをたくさん用意してくれた母良田クン、青森から長芋と大根の漬け物を提供してくれた土岐さんとSAS Swedenでカンパを集めてくれたスウェーデンの人たち、それからパンティーライナー、ナプキン、尿漏れパッド、アイボン(眼球を洗う洗浄剤)、体ふき(おしりふ)、靴下、下着等きめ細かくうるさい指示に応えて用意してくれた多くの皆さんの物資は、どこの現場でも大歓迎されました。4カ所で炊き出しとコーヒーサービス、物資の配給は避難所4カ所、ボランティセンター(SAVE IWATE)一カ所、個人宅数カ所、そのほか個人にも手渡しで何人にもお渡ししました。

物資はもう足りている、という新聞テレビ等の報道は、一面的なものです。足りないものがたくさんあります。届かない地域がたくさんあります。これからも長くご支援お願いします。

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長芋と漬け物を青森から持ち込んだ。とりわけ、
「漬け物食べますか?」と聞いたら、配膳のおばさんが、
「ええ?つけもの!」と、眼を輝かして大喜び!小分けに袋詰めにした大根の漬け物を段ボール一箱とどけました。

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自家製の焼豚とスモークチーズ。
「こんなもの持ってきた人はじめて!すご~い」

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狭い避難所のテントにうかがって、子供に絵本を読んであげていた須崎さん。お年寄りにマッサージをしてあげていた谷畑さんとか、ふれあうことを大事にしたTSTSTのメンバー。生きることの厳しさや人のやさしさを教えられたのは僕たちの方だ。

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小城さんはムービーを撮影しています。近々アップします。

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もう50日もたっているのに、大船渡は、ほとんど片付けが進んでいません。

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新幹線だけは通ったけれど、三陸鉄道ほかは全滅。当面復旧できそうにない。


*5/11 午後7ごろから 恵比寿ガリバースタジオで、反省会・報告会兼ねてTSTSTミーティング開きます。今回の輸送に参加した方もそうでない方も、そして様々な形でご支援いただいた皆様も是非ご参加ください。お待ちしています。時間のある方は早めにきて、現地報告スライドショーを見てください。



2011.05.07[Sat] Post 12:19  コメント:1  TB:0  日誌  Top▲

原発の海

東通
青森県下北半島東通村の海。海岸のすぐそばに東北電力の原発。東京電力も広大な敷地を占有し新たに原発を建設中だ。美しい海が汚されてゆく。4月の余震で外部電源の全てが失われ、非常用ヂーゼル電源まで故障するという非常事態に陥った。その後回復して事なきを得たがとても信じられない事態だ。
中部大学の武田邦彦教授は(内閣府原子力委員会専門委員、同安全委員会専門委員)は、つぎのように言っている。
「東通原発が震度5でディーゼル発電が動いたということは、設計か施工の欠陥である」


東北支援東京写真家チーム(TSTST)
支援物資協力およびサポートを申し出てくれた方々(敬称略で失礼します)2011.5.6現在、105名
小西徹 東京  写真家、 小城崇史 東京  写真家、田中宏幸 東京 写真家、伊藤裕一 東京 写真家、沼田孝彦 仙台 写真家、藤田佐奈恵、東京 JAZZシンガー、関根誉之 埼玉  写真家、 os九 神戸、中野理一 東京 プログラマー、西岡理延子 東京 出版社勤務、小林ひろこ 東京 フリーライター、岡田好江 東京 編集者、須部方夫 東京 編集者、広島君 広島、saru兵庫、naoko 十和田、池田史典 東京 ディレクター、畠雅仁 東京 新聞社勤務、浜名純 東京 フリーライター、宮崎真 東京 新聞社カメラマン、瀬戸口 怜子  東京 出版社勤務、佐藤文哉  東京、飾森正  東京、michirin 東京 獣医師、竹野康之 東京 音楽家、堀江幸雄 東京、柏倉秀美 江ノ島 デザイナー、川島秀雄 東京 コピーライター、山田千亜希、中川法江、森脇政子 編集者、及川健治 編集者、渋川豊子 編集者、慶應大学出版会編集部、飯村昭彦 東京 写真家、稲葉敏也 東京 プロデューサー、米田智子 東京、YukiMatsumoto 、谷畑まゆみ 松戸 編集者、嶋克也 東京 写真家 ヤン・ヨンヒ 東京 映画監督、ホールディン、朝田壮 東京 コピーライター、本永恵子 東京 デザイナー、すざき 東京、松田純二郎 仙台 写真家、宮崎修 東京、小島淑子 東京、米田洋史 東京、加藤恵美子 東京、伊藤 東京、長谷川三知子 東京、小野尚子 東京、松岡身奈 東京、高橋純 東京 webデザイナー、高橋南央也 プログラマ、有吉由美 プロデューサー、川俣博紀、広瀬 フランス 写真家、中澤 東京 番組ディレクター、矢野恵理子 東京、木原尚子 横浜 書家、武井里香 東京 写真家 佐々木裕子 東京 紫水 東京 居酒屋、 金井 東京 ディレクター、株式会社クラフトマンズ・ワーフ 風呂田 秀昭、 秋山ミチオ 東京 ?ティストリア ラフイー・キヤラシー  東京 港区六本木、矢吹恵里子 編集者、IZAKAYA VIN(イザカヤヴァン) 渋谷、 高井健 編集者 東京、菊池くらげ 東京 写真家、 土川俊樹 東京、松本寛道 市議会議員 柏、 佐藤智恵子 フリーアナウンサー 仙台、 工藤麻衣子 東京、川崎淳一 仙台、母良田功 川崎 大学職員、平尾秀明 東京 写真家、萩野祐子 東京、土岐農場 青森/七戸、SAS sweden職員有志 スウェーデン、株式会社ジェーシーコムサ、株式会社ファンシーコーポレーション、山岸澄子 塩尻、猫のN 埼玉、wanwan 東京 写真家、山田彰一 東京 写真家、神田丈亜 東京、成嶋孝浩 東京、池田かえる 東京、角谷佳紀 東京、佐々木智恵 東京、杉山 東京、藤森早苗 東京、松本由紀 東京、山口康裕 東京、大塚陽子 堀田芳恵 東京 編集、田子美由紀 東京、大政智子 東京 編集、清水玲 現代アート作家 東京、佐野英子 柏、山口康裕 養蜂家
2011.05.06[Fri] Post 19:06  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

生きていてよかった

腸の腺癌と宣告され、予後1~2週間だろうと知らされたのは、母が逝った2日前でした。

しかたなくゴン太(猫)を動物病院に入院させて、母の葬式のため家族全員で帰省した。十和田市現代美術館でのギャラリートークもあったし岩手被災地の支援活動もあって、帰京したのは、ぎりぎりと医者に言われた2週間後だった(家族は先に帰っていた)。

ゴン太

ゴン太

ゴン太元気な頃のゴン太

2週間経って、ごん太は生きていた。なき声をあげることもなく寄ってきて、僕の足に鼻をこすりつけてくる。なでた背中が痩せこけてがりがり。げっそりした頬をなでてやるとゴロゴロいって眼を細めてうれしそうだった。犬猫の命も人と同じように尊いものだ。母親が早く逝って猫に命をくれたのだと思う。この2週間ほとんど何も食わずに自分の身をけずって生きているゴン太を見ると母親の死と同じぐらいに涙がでてきた。

ゴン太

ゴン太



2011.05.06[Fri] Post 14:53  コメント:9  TB:0  日誌  Top▲

下北半島の美しい海(画像再編集)

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2011.5.2 青森県東通村白糠の海

きょうは、下北半島を廻って来た。なんて美しい、目の覚めるような青い海、白い雲だった。

(写真現像をやり直しました。現地現像したものはノートパソコンだったためディスプレイが×なので)
2011.05.02[Mon] Post 23:02  コメント:2  TB:0  日誌  Top▲

六ヶ所核燃の安全対策

IMG_1558.jpg原燃PRセンター
六ヶ所再処理工場は、4月の余震、震度4の時に、全ての外部電源が失われて、非常用ディーゼル電源が「正常に」稼働した。震度4が「大地震」?この日の地震の時、近くの東通原発も同じようにすべての外部電源が失われ、ディーゼル電源が稼働しましたが、ここでは非常用ディーゼル電源も故障し停止した。その後、からくも外部電源が復活してことなきを得ている。
2011.05.01[Sun] Post 20:22  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

使用済み核燃料という手に負えないものがこのプールの中に!

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2011.05.01[Sun] Post 20:07  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

プールの中にはいっているもの!

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2011.05.01[Sun] Post 20:01  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

放射性廃棄物ドラム缶

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こんなものが山積みに貯蔵されている。
2011.05.01[Sun] Post 19:57  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

正門の奥から警備員が走って来た

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ただ、写真を撮っていただけだけど。

2011.05.01[Sun] Post 19:51  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

六ヶ所核燃施設へ

再処理工場
六ヶ所村核燃料再処理工場
2011.05.01[Sun] Post 19:42  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

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