写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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東北の謎の神に会いにいく

 花巻ICで降りて被災地大船渡へ向かう途中で、偶然にも「丹内山神社入り口」という看板を見つけた。何年も前から訪ねようと思っていたところだが、それを被災地支援に向かう途中で発見するという偶然に驚いた。
 今回の旅は、いくつもの不思議な偶然が重なり続けて驚かされた。飼い猫のゴンが癌になり予後1~2週間と病院で告げられた日に母の訃報を聞いた。

gon.jpg

(その後、ゴンは生きている。予後1~2週間と診断されてからもう一月、今日、病院で、腫瘍が小さくなっていると言われた。医者も驚いていた。エサはまったく口にせず、点滴だけなのに回復しはじめている。2週間前と比べると毛並みもきれいになった。少しふっくらしてように見える。なんだか凄い。)


 そのあたりからなんだかおかしかった。ウィンドファームを見に行くと、風速35mという年に一回あるかどうかという強風。恐山ではおよそ見たこともない風景。下北ではウニ丼という看板に釣られて急ブレーキをかけて止まったメシ屋の帰り、ついでに海を見ていこうと誘って海岸に出たら、信じられないくらいに美しく青かった海。その先に見えたのが予想もしていなかった東通原発。十和田では新渡戸記念館館長の明さんに偶然会って3人でコーヒーをごちそうになった。新渡戸家の本家は花巻にあり、その花巻でICを降りて丹内山神社を見つけた。TSTSTのメンバーの宿は遠野で宿の裏が南部神社といって八戸南部氏ゆかりの神社。その神社ののぼりにあった新渡戸仙学謹書という文字。十和田市現代美術館での展覧会のオープニングは、母の初七日明けの日だった。旅の先々で偶然の重なりに驚いていたのは僕より同行したふたりであった。

 極めつけは、この神社訪問の帰り道だった。ガソリンスタンドで補給した時のメーターが999999!高速道のゲートが上がったら、100.000に!!同乗3人とも眼を回した。

で、丹内山神社だが、
奥州平泉初代の藤原清衡が郷社として祀ったとされる神社だが、アラハバキという、東北で古代から信仰されてきたと思われる謎の信仰の本殿とご神体の磐座(いわくら)がある。

IMG_1660.jpg

一の鳥居は最近再建されたものだ。本殿とは何百mも離れていて、その規模の大きさにまず驚かされる。今は参道の跡形もないが、おそらく天皇系に直接間接、弾圧されて破壊されたのだろう。古代から、アテルイにしろ安倍貞任にしろ奥州藤原にしろ、東北の民は、天孫系を奉ってはいない。大和朝廷の侵略に対して何百年と抗らい、「服(まつ)ろわぬ民」として生きてきた。そのその精神的支柱としてアラハバキ神は、ことごとく弾圧され破壊されてきたと推測するのが妥当である。わずかに残されてきたものでここのほかには、津軽と秋田と宮城にいくつかあるそうだが、僕は見ていないのでなんとも言えない。なぜかというと、アラハバキ神信仰は、茨城とか浜松とかにもあったりするが、どうもこれは客人神(まろうど)らしい。大宮の氷川神社ももとは「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたようだが、これもよくわからない。氷川は斐川とも読める。出雲の斐川だ。東北の蝦夷(エミシ)と共闘関係にあったとされる物部氏は、出雲から東北へ逃れてきたようだから、関係ありそうな気もする。

 いずれも類推の域を出ない中で、この丹内山は本物だと思う。藤原 清衡が正式に祀っていたわけだから。その叔父の安倍貞任も、阿弖流為(アテルイ)も、と思われる。地理的にもあっているし。

_MG_1337.jpg

二の鳥居からの参道もかなりの山道を歩く。参道はいってすぐに古いりっぱな邸宅が2軒ならんでいた。別当もしくは宮を代々守る人の家だろう。「古屋」とあった。

_MG_1339.jpg

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_MG_1347.jpg

ようやく本社入り口にたどりつく。中野、加藤両氏はうしろの方でぜいぜい言っている(笑)

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「爺杉の根株」

_MG_1356.jpg

苔むした境内。

_MG_1357.jpg

これは本殿ではない。相伝(観音堂)とある。

_MG_1368.jpg

四の鳥居を越えてようやく本殿にたどりつく。

_MG_1375.jpg

_MG_1376.jpg

_MG_1370.jpg

ふしぎな飾り物を見つけたが、鉄の融けたかたまりではないかと思う。
アラハバキは鉄の神でもあるそうだが、物部ー出雲とのつながりを考えれば、「たたら製鉄」で融かしたものを飾ってあってもおかしくない。

_MG_1393.jpg

本殿も相当に古くて興味深いけれど、その裏にあるものこそご神体ー磐座だ。

_MG_1394.jpg

胎内石!そうなのか。丹内山というぱっとしない名前だと思っていたが、胎内山ではないのだろうか?

_MG_1390.jpg

_MG_1396.jpg


「神名・由来ともに不明」(柳田國男『石神問答』)という謎の神。高橋克彦の『火怨』で、蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為が、あるいは『炎立つ』では安倍貞任が、御神体である磐座の前で、巫女により、ご神託を受けるというシーンがある。おそらくその神体こそここにある磐座だろうと思う。貞任はこの岩にのぼり正座しているうちにアテルイが天から降りて乗り移ったのである。


 で、僕もこの岩に登った。巨岩の上に木が生えていた。

P5050387.jpg

(photo by Emiko Kato)

そしたら加藤さんが
「そんなことしていいの?」と言う。

「いいんだよ、おれは」となんとなく言った。
「この神は、天皇家の神とは違うんだ。ひれふす必要はない。なでたり触れたりする方がいい」と適当に言った。でもたぶんそうだ。磐座は神そのものではない。神が天から降りてくる場所だ。阿弖流為(アテルイ)も安倍貞任も千年も前にここに登ったと思いをはせながら岩に生えた木を見上げていると、加藤さんが叫んだ。

「あっ、岩木さんが岩木に登ってる!」

「えっ?」

なんか馬鹿げたことだけど、そのことに初めて気づく。

「そうか!これはおれの先祖だ。岩木登は成就したのか?」

3人で大笑い。(くだらない話ですみません)

中野さんにも登らないかと聞いたけど、「いや僕はやめておきます。」

_MG_1423.jpg

帰り道、目つきの怪しげな猫に出会って、その後ガソリンスタンドで、9が5つ並んだ。


IMG_0547.jpg




2011.05.23[Mon] Post 15:12  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

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