写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

最近のtwitter

TwitterPowered by 119

最近の記事+総記事数

FC2カウンター

ブログ内検索

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter

Follow us on Twitter

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET
※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

スポンサーサイト のトラックバックアドレス
http://iwakino.blog15.fc2.com/tb.php/1524-a4012eb4
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

寄稿文「写真家として青森を写すことの意味」

『紀要上北』(平成24年度)に寄稿しました。
これは青森県上北地方小学校校長会誌です。依頼をはるかにオーバーした僕の長原稿を全文掲載していただいたことに感謝します。以下転載します。

kiyo.jpg

「写真家として青森を写すことの意味」 岩木
登 日本写真家協会会員 フリーランス

 僕が三本木高校を卒業してからですから、
40年ぶりに青森に戻りました。帰省ではなく移
住。今は焼山にスタジオ兼住居を構えて活動し
ています。青森の風景を撮影することに専念・
集中するためです。
 数年前からもくろんでいた事ですが、それを
決断させたのは他ならぬ3.11大震災と福島第
一の原発事故でした。ふるさとを守ろうという
気持ちと、青森という北東北の果てに残された
世界的にも希有な自然の価値を訴えようという
気持ち、その二つの気持ちが入り交じり、それ
と重なるように僕自身の東京での生活から抜け
出したいという思いがシンクロしてはじけたの
が3.11だったのです。出版社や広告制作会社
が集中する東京は、写真家にとって仕事の段取
りはとりやすい地ではあるけれど、作家活動そ
のものは集中できる環境ではないし、便利で、
効率的で、高収入・多消費の生活そのものに疑
問を持ち始めていて、東京脱出することをおぼ
ろげながら10年ほど前から考えていたので
す。おぼろげな気持ちを鮮明にしたのは3.11
以降の原発事故と未曾有の放射能汚染の拡大で
した。
 震災直後に僕は、写真家仲間に呼びかけて被
災地支援チームを結成しました。東北支援東京
写真家チーム(TSTST)と言います。当初3人
で始めて、支援物資を車3台に満載して大船渡と
陸前高田に入りました。その報告をブログに掲
載したら反響がどんどんひろがりチームは、サ
ポーターも含めて110名を超えるまでになりま
した。まったくのボランティア、どこからも助
成金をもらわず、手前弁当で、自腹を切って、
物資を運んだり炊き出しをおこなったり瓦礫の
片付けをおこなったりしてきたのです。現地に
チームを派遣した回数は10度におよび現在も
続いています。

 その時のブログ掲載記事と写真を転載しま
 す。「東北を再建しよう」という連続ブログ
 です。
  「東北を再建しよう」ブログ第一報は、3
 月16日に青森から発しています(僕は3.11
 の時、上北町に滞在していた)。

*hatinohe.jpg


3.21:「誇り高き漁師_東北を再建しよう
12」
「自然災害はある程度避けられない。自然とつ
きあいながら、その中でしかわたしたちは生き
られないのだから。それでも私たちは自然への
畏敬の念が足りなかったような気がする。
 私たちが、真剣に考え直さなければならない
のは福島の事故だ。
 なによりも私たちは、原発事故の責任を政府
と電力会社にだけおしつけるわけにはいかない
と思う。原発を必要としたのは、大量消費社会
を生み出しそれを追い求めてきた多くの私たち
だからだ。、、、(中略)、、、 
 これは象徴的なのであって、偶然ではない。
 今、原発の是非を言っている場合ではない、
という人がいますがそれはちがうと思う。今こ
そみんなで真剣に考えるべきです。なあなあで
容認してきたのは私たちですから。原発無しで
やっていけるのかということではなくて、そう
いう社会を作っていこうということです。
 破壊された東北から、私たちは新しい関係を
作っていかなければならないのだろう。母なる、
父なる大自然。人がコントロールできるわけが
ない。奢ることなく畏敬しよう。それが僕らの
とりもどすべきことだ。
 小川原湖は被災をまぬがれた。大震災後もこ
この漁師たちは小さな船を出して毎日漁に出て
いる。
 六ヶ所の漁師たちは、原発に反対して、船を
総動員して激しく抵抗した誇り高き人たちだ。
がんばれ青森。いち早く再興し東北を支援しよ
う。

ogawara.jpg


4.13:
大船渡。
街に入った途端に、ウッと息を飲ん
だ。瓦礫の山が延々と続く。建物が壊れている
というレベルではなくてペシャンコに全部潰れ
ている。はるか遠くまで残骸だけの山だ。
なんだこれは!
そうだこれは映画で見た絨毯爆撃された廃墟の
街だ。三人とも声が出なかった。胸が締め付け
られる激しい衝撃を受けた。大船渡駅が跡形も
ない。ほんとになにもないからわからなかった
のだ。線路だけがあって、屋根らしきものが
ひっくり返ってあらぬところにころがってい
た。近付いてきた地元のおばさんに聞かされて
はじめて駅舎の跡だと知った。

陸前高田。なんと。もっとひどかった。

異臭が漂う残骸だけの街!

涙が流れる。言葉が出なかった。どうしようも
ない脱力感。

この次は写真をのせます。覚悟してください。
みんなが見なければならない。

支援物質はしっかり届けました。
全部潰れてしまった市役所の仮庁舎が高台にプ
レハブで作られていて、そこの支援物質受付所
に納品しました。自らも被災者である役所の方
は大変喜んでくれました。
(同行した)二人はきょうで任務終了です。お
疲れ様でした。僕はまだこれから届けて歩きま
す。
帰り道、露店で焼きそばを売っていたので僕
らはそれを昼食にしました。四人の気仙沼の
漁師。
「船はどうでしたか?」と聞いた。「全部なく
しました」という。僕は車に戻って、ダンボー
ル一つ持ってきてそれを渡した。「ラーメン
入ってます。もらってくれませんか?」
「えっ、いいんですか?」「ええ是非」。4人
は、立ち上って礼をしてくれました。僕はもう
一度車にもどりました。米を一袋、「これも」
と言って置いてきました。日焼けした精悍な漁
師の顔がくしゃくしゃになって、、たまりませ
んでした。
東京と仙台へ帰る二人と別れてからもう一度、
大船渡にもどりました。ぞっとする廃墟の街を
一人で歩きたかったから。しばらく歩いて、片
付けをしている家族風の三人がいたので聞いて
みた。「水はいま出るんですか?」
女の人「まだ出ないんですよ。給水です」
「じゃ、水もらってください」と言って僕は車
に走った。24本の水をかかえてもどった。そ
れを差し出して、また僕は走った。まだ米が一
袋残っていた。それをかついでまたもどる。
「これももらってください。」「がんばってく
ださい」、、女の人は、うるうるしていたの
で、僕は一礼して車にもどった。車を走らせる
と今度はお父さんらしき人が手を降って走って
きた。名前を聞かせてくださいという。そんな
のいいと言ってもどうしても聞かないので名刺
をあげた。僕は青森生まれで帰る途中で寄った
だけです、仲間に声かけたらみんな集めてくれ
たんです、と話した。お父さんは、下を向いた
まま、サンマでも穫れたら送ります、って。た
まらない。東北人は堪らないよ。きょうはバー
ボン、ストレートで飲んで寝ます。

4.14:「合掌してください」
otuchi.jpg

2011.4.11 岩手県大槌町 (震災直後では
ない。きのうの写真です。)

この見渡す限りの瓦礫の山の下にまだ多くの遺
体が埋っていることを、立ちこめる堪えられな
い異臭が知らせてくれた。

この町だけで、588人死亡、1000人以上行方
不明。
ご冥福を祈ります。

4.16:「東北を再建しよう_大事なことを書
きます」
 岩手の被災地をまわって感じたことは、人々
のやさしさでした。それと、盛岡から遠野を抜
けて三陸にいたる自然の美しさでした。岩手山
と早池峰山はいつ見ても心を打たれます。閉伊
川や北上川を通り、東和、九戸、葛巻あたりを
ゆくと、そこには僕の知りうる日本で最も美し
くて穏やかな農村があります。コンビニも無粋
な広告看板もない穏やかな農村、ここで僕は、
私たちが過剰な消費社会に馴れ忘れ去って来た
安らぎの風景を見る思いがしました。

饒舌ではなくて 忍耐強くて 人とのつながり
を大事にして 私利よりも他利 自然を敬い 
恥ずかしがり屋で そんな東北人とはなんです
か 日本のこころ そのもの わたしたち多く
の日本人が忘れかけてきたもの それが残され
ているところの人たち 相も変わらずじっと耐
え忍んでいる そんな東北がいま救いを求めて
いるのです。

 東北は今や世界中の話題の中心になっていま
す。
「なぜ略奪が起きないの?」(CNN)「忍耐
強く、不屈の日本人」「家を失った日本の被災
者は、おにぎりと味噌汁を食べるだけで深くお
辞儀し、食べ物のありがたみに感謝してい
る。」(台湾「聯合報」)、、、などなど。

 わかっていただけるでしょうか?これらは、
日本人の美徳ではなくて、日本人の多くが忘れ
かけてきた、そして、東北人に多く残されてい
る美徳、なのです。

 自己保身、責任逃れに冷汗を流すひとたち、
支援など見向きもせず食料やミネラルウォー
ターやマスクを買いだめする人々、原発の安全
性を問題にするふりをしながらまだ使い続けよ
うとする愚かな人間たち。残念ながらこの人た
ちの方が今の日本の主力です。すくなくとも権
力を握っています。

 原発とはなんですか?

 東北が育み残して来たものの対極にあるもの
です。自然を敬い、人々が支え合い、効率主義
でなく、経済至上主義ではなく、エネルギー大
量消費ではない、つつましくも、心は豊かな社
会。
「原発なしでやっていけるのか!」そんな声
が、まだ日本中の大半なのです。残念ながら。
経済至上主義で考えたらそういうことです。効
率主義で考えたらそういうことです。だから、
わたしたち多くの日本人は忘れかけてきたんで
す、もっともっと大事なものを。

 誤解を恐れずに言うと、津波と原発の事故
は、天が与えてくれた試練なのであって、わた
したちに与えられた最後の機会なのです。ええ
最後です。今も危ないけれど、この次もあった
らおしまいです。
 六ヶ所村には、日本を軽く全滅させる核燃料
が貯蔵されています。、、(中略)

 美しい東北を支援していくということは、私
たち自身が変わっていくということです。変わ
らなければならない。変わらない人たちを変え
ていかなければならない。大事なのはそのこと
です。それがおろそかにされたら、東北の再建
は失敗します。日本もだめになるということで
す。
 東北を新たに再建するということはそういう
普遍的な意味があります。希望を持って支援し
ていきましょう。TSTST(東北支援東京写真
家チーム)をサポートしてください。
 再建しよう東北 支えよう東京  TSTST
チーム 写真家 岩木登

引用が長くなりましたが、僕は生まれて以来最
大のショックを受けたということを伝えたかっ
たのです。歴史は3.11をもって変わったのだ、
僕自身も変わらねばならないと思い至りました。
何ができるのか、どこまでできるか。今も悩み
試行錯誤しながら毎日を過ごしています。だけ
どテーマとして選んだものに間違いはないとい
うことだけは確信をもっています。世界一美し
い森と川が青森にある。それがこの東北の果て
に残されて来たことの意味を考えながら撮り続
けようと思っています。
2013.03.03[Sun] Post 22:51  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET
※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

寄稿文「写真家として青森を写すことの意味」 のトラックバックアドレス
http://iwakino.blog15.fc2.com/tb.php/1524-a4012eb4
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。