写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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2006.05.17[Wed]  投稿者:-  編集  Top▲

読ませてもらいました。とても考えさせられる内容でした。難しいですね。

俺も綺麗な大自然が大好きです。癒されます。
俺にとって釣るという行為はあまり重要ではなく、
自然に戯れる手段みたいなことで釣りを楽しんでいます。
でも考えると自分の中での矛盾は尽きません。

釣りの最中に落ちているゴミなどを俺が捨てたわけじゃないからと、
無視して通りすぎて行ったりする事しばしば、
そのくせゴミを不法に捨てる人を非難し、
自然は良いよね~なんて言ってみたりします。
俺もまだまだです。

岩木さんの場合何か具体的に自然を守るために、
個人的もしくは団体でもいいですが、
実際にされていることや努力されている事ありますか?

2006.05.17[Wed]  投稿者:アンドレ・マルコビッチ  編集  Top▲

 川を歩いて釣りをする様々な人たちが,自然や己(あるいは他多数の人たち)の行動についてどう考えているかというのは,とても興味深いことだと思っています.

 釣り人が環境について考えたり語り始めるとき,自分が楽しむために魚を残したいというエゴ的根拠があるのは,自らの経験からも,また多くの場合においても当てはまるのではないかと考えます.
 ただ,それと前後して,山や川に対する簡単には言葉にできない感慨を抱き始める端緒にもなっているのではないかと思えます.それは漠然とした,「自然への畏怖」,「自然があってこその人間の社会」のような感慨かもしれません(僕としては自分の感触をうまく表すには,もっと別の表現に言い換えないといかんと思ってるのですが).しかし人には,このような己の内にあるいくつかの意識のうち,「自然は大切だ」的なものだけを選択的に見て,自らのエゴを見ないフリをする傾向があるのかも知れません.それが表面的な自然保護思想につながるように思えます.

 渓流・源流釣りに限らず,ネットや雑誌などで情報が溢れるにつれ(それだけが原因ではないですが),自然に関わる様々な行為が,今後ますます消費的になる気もします(逆にネットでの情報発信が人に物事を考えさせるきっかけにもなると考えますが).
 種々の情報を検索して,魚がよく釣れそうな場所に赴き,時間と金を掛けたのだから,それに見合う釣果を期待する,期待通りでなければ損したと感じる,ということもあるかと思います.日常生活において商品を購入するのと同じような意識を,釣りに対しても持つ傾向があり,それが必要以上の(何を必要十分とするかという疑問もありますが)漁獲を求めるのではないかと思ったりもします.

 これまで様々な川に行きましたが,そこで出会う釣り人が口にするのは,「昔はいくらでも魚がいたし,でかいのも多かった.今は全然だね~」という内容です.昔より良くなったという話は皆無です.
 今後どこかで,「昔より良くなった」という話を聞くことができる日が来るのだろうか,と思います.
 と同時に思うのが,「いくらでも魚がいる」という言葉の自己欺瞞性(?)です.魚がいくらでもいるという言葉を発することで,自らに対して,魚はいくらでも無尽蔵にいるのだから,自分が少しくらい多く殺して持ち帰ってもなんら問題はないと暗示を掛けているように感じます(これはその他の,たとえば地球規模の環境問題にも言えるのでしょうが).人は自らが用いる言葉に注意する必要があるのかもしれません.



 長くなってしまいました.
 ところでiwakiさんはカメラが水没したとのこと,僕もカメラ水没常習者なので他人事ではありません(苦笑).お使いだったのは5Dでしょうか.やはり水にはかなり弱いのですか.また源流での5Dの性能についても楽しみにしています.
2006.05.18[Thu]  投稿者:ur  編集  Top▲

アンドレさん、どうもです。そちらのブログも訪問してみました。遊魚券の問題-アンドレさんは、きっと正直な人で、欺瞞的な言い分に我慢がならない人なんですね。きっと僕と似ています(笑)。ニジマスなどを「勝手に」放流して釣り大会を開催したりするだけで、遊魚券を回収して歩くだけという漁協には僕も異論があります。別のBBSで、外来種であるニジマスを放流して従来の生態系を破壊してしまう影響についてはどう考えるのか?質問したことがありますが、はぐらかされただけでした。僕のオヤジも漁協員だったので少なくとも一つの漁協の内情を知っていますけど、護岸コンクリや森林伐採とかいう、魚の生育環境そのものにきりこんでいくような活動はほとんどせず、キャップをかぶって遊魚券を払えと言って歩いているだけで、払わないのは泥棒だ、と言うのはどんなものですかねと思います。放流する意味-意義をまず説明する義務がある。釣りファンのためだけの活動しかしていない漁協が川の生態系まで影響をおよぼす行動をしてもいいのかどうか論議を深めたいところです。
 *すべての漁協を否定しているわけではもちろんありません。先日、東京新聞で紹介されていた九州の方の漁協では森林や周辺環境まで踏み込んだ活動を展開していると聞いて感心して読みました。
 僕は、いまはどこの団体にも属してません。せいぜい自分や周囲の人たちによびかけるぐらいのものです。(だいぶ前に若い頃、反対同盟の農家に泊まり込み援農しながら反対運動に取り組んでたという時期はあった)。渓流や里川では、(おもに釣り人が残した)ゴミを拾って帰るとかするぐらいでしょうか。
 urさん。どうも貴重な意見ありがとう。
5Dは、修理センター行ってます(泣)。基盤交換です。1Dなら助かったのかどうか?僕も知りたいところです。レンズは17-40F4Lでしたが、最初オートフォーカスの挙動がおかしかったけれど、そのうち何の問題もなく動くようになりました。Lレンズは防滴にすぐれているようです。
2006.05.18[Thu]  投稿者:iwaki  編集  Top▲

うんうん、返事ありがとうございます。
遊魚券の問題に関しても、全く岩木さんのおっしゃる通りだと思ってます。
森や川等の自然を考えて実行している団体にはお金を払うことによって少しでも役に立たせて欲しいと思うのですが、何をやってるかわからない団体、もしくは自分のやっていることを他人に知ってもらおうともしない団体にはむざむざとお金を払うことはしたくはありません。それが社会一般的なルールだとしても。

でも俺も自然と戯れることの好きな人の一人として
自分に出来ること、小さいことからコツコツとをしてみたいと思います。
つりに行ったら落ちているゴミを一つだけ持って帰る。
または釣った魚の数分だけゴミを持って帰る。ぐらいのことかもしれませんけど。
やっぱり自分に課した使命感がないと何もしないもんで。

俺を含めての話ですけど、人間の意志って弱いですよね。
人類が滅びても地球はこれからも生き続けていくでしょう。
もし自然が滅びて人類が滅んでも大地がある限りまた自然は再生するでしょう。
しかし人類は再生しないでしょう。
自然を守るということが人間の本能の中に組み込まれていないのは、
人類が繁栄の道を選ぶか滅びの道を選ぶかの権利を神があたえたのでしょうね。
2006.05.18[Thu]  投稿者:アンドレ・マルコビッチ  編集  Top▲

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自然環境問題と釣りについて少し

僕は、「南八甲田の森をゆく」という本で、「自然保護」運動に対する疑問ということを少し書いたけれど、この間、何人かの人と「釣り」とか「環境問題」について討論する機会があったので、ここで少しそれについて述べてみようと思う。
まず、八甲田での釣りについて。
 井伏鱒二は戦後まもないころ酸カ湯温泉に泊まってあちこち廻ったけどあんまり釣れなくてがっかりしたようだし、開高健にいたってはグダリ沼まで出かけたらしいけど、まるで釣れなかったようだ。八甲田全般で言えば、あまりいい釣り場ではないと思う。
 まず、ヤマセというここ特有の寒風が問題なのだ。ヤマセが吹いてる日は釣れない。岩魚は奥に潜んで出てこないのだ。しかも、晴天のポカポカ陽気でももちろん釣れないのだ。それは岩魚一般に言えることだ。岩魚は天候や水温やらに敏感な魚なのだ。釣れるのはマズメ時だし、雨上がりだったり霧が出ていたりの方がいい。だからここでは、釣れる条件がそろう日が少ないということだ。ちょろっと遠出して八甲田まできてもそう易々と釣れるところではないということ。
 酸性の川、沼が多いことも問題だ。赤沼や黄瀬沼はこれでだめなんだ。そうでなかったら最高の沼だろうにね。でもそれがいい。たぶん。

そのおかげで釣り師たちに山が荒らされることが少ないということだからね。

 釣り師(山菜採りも)たちの(一部の人々の)自然破壊ぶりはけっこううんざりだというのは開高健も書いていた。彼が銀山湖を紹介したおかげであそこもひどいことになってしまったしね。4輪駆動車で林道をずっと奥まで入ってきて、それどころか道ないところまで蹂躙して侵入してしまう。何人もの集団でやって来て川を根こそぎ下から攻め上がっていけば岩魚だってごっそりいなくなってしまうというものだ。釣り人のゴミがまた最悪。糸、針、おもり、ビニール袋各種、ぶなの枝に仕掛けをそっくり引っ掛けてそのまんまにして帰る馬鹿ものもいる。テグスにくるまって死んだカワガラスも見たことがある。プラスチックのワームなんかを川で見た日にゃあ最悪だ。こんなもので釣りをするな。林道の自家用車の通行も制限すべきではなかろうか。山で釣りをするには何時間も歩かねばならないという制限策がそろそろ必要なのかもしれない。
 釣り師、山菜採りだけではない。登山者たちもひどい(人達もいる)。観光バスで団体で来て勝手に登山道を切り開くなよ。だいたい団体というのがよくない。釣りでもそうだ。メスナーや植村直己のように、チョモランマですら単独無酸素が基本、というふうになってほしいね。ボンベとかヘリとか集団キャンプでなければできないならやめなさい。熊が恐いなら山に入るな、山と一人で向き合う勇気がないならば山に入るな、というのはマタギの教えだよね。便利だとか都合がいいとか安全だとか言ってそのために自然を荒らしていいわけではない。それは今の僕らの時代でも変わらない真実だろう。

「自然保護」に反対する人はほとんどいない。

誰もが環境問題を考えている。汚染物資を流している企業や利権のために山や川をたらいまわしにしている政治家や役人どもですらそうだ。だからこそ「自然保護運動」の中味をチェックしなければならない、というのが、僕があの写真集で提起した「自然保護」運動への疑問、という言葉の主旨であった。

「尾瀬の長蔵小屋でごみを不法廃棄」していたという問題は十分に教訓的である。
尾瀬の自然保護運動は日本では先駆者であり、長蔵小屋の平野氏はその先頭に立った人である。その後継者たちが重大な自然破壊に手を染めてしまった。
 なまいきついでに言わせてもらうと、だって矛盾してるじゃないか!あの小屋があるからこそとんでもない数の登山客が訪れて山をあらして行くではないか、と!小屋を閉めること(百歩譲って、ほんとの小さい小屋にすること)こそ最良の自然保護運動であったではないかい?(もっとも平野長靖氏はその矛盾に気づいていたからこそ、率先して保護運動にとりくんでいたように思うけれども。)
 釣り師だって(釣り師→登山家にも置き換えることができる)矛盾しているんだ。(僕も釣り師であったし、そういうふうに考えていたふしがあるからこそ言うが)自覚するしかないのだ。岩魚がいなくなったら困るというエゴ的視野の狭さから発しているんだ、釣り師の自然保護の弁なんて。それを自覚しなきゃウソ臭い。岩魚やヤマメだって激減した原因の半分は釣り師にあるんだ。自覚すべきである。開発だけが魚を減らしたわけではないということを。でもそれでも(エゴ的視野の狭さから発していることでも)いいと思う。釣りやってるうちにそれだけ山や川や自然がどんどん破壊されてきているということをより身近に知ってきたのであり、だからこそかつての山を取り戻したいという風に考えを進めることができたわけで、多くの釣り師たち、自然愛好家たちが、エゴを昇華し普遍を獲得していけばいいと思う。
 (写真集で伝えきれなかった部分の補足のつもりです。この問題はむずかしいものを含むけれど、これからも、悩みながら少しずつ考えながら提起していこうと思ってます。)
2006.05.16[Tue] Post 17:32  コメント:5  TB:0  環境問題  Top▲

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読ませてもらいました。とても考えさせられる内容でした。難しいですね。

俺も綺麗な大自然が大好きです。癒されます。
俺にとって釣るという行為はあまり重要ではなく、
自然に戯れる手段みたいなことで釣りを楽しんでいます。
でも考えると自分の中での矛盾は尽きません。

釣りの最中に落ちているゴミなどを俺が捨てたわけじゃないからと、
無視して通りすぎて行ったりする事しばしば、
そのくせゴミを不法に捨てる人を非難し、
自然は良いよね~なんて言ってみたりします。
俺もまだまだです。

岩木さんの場合何か具体的に自然を守るために、
個人的もしくは団体でもいいですが、
実際にされていることや努力されている事ありますか?

2006.05.17[Wed]  投稿者:アンドレ・マルコビッチ  編集  Top▲

 川を歩いて釣りをする様々な人たちが,自然や己(あるいは他多数の人たち)の行動についてどう考えているかというのは,とても興味深いことだと思っています.

 釣り人が環境について考えたり語り始めるとき,自分が楽しむために魚を残したいというエゴ的根拠があるのは,自らの経験からも,また多くの場合においても当てはまるのではないかと考えます.
 ただ,それと前後して,山や川に対する簡単には言葉にできない感慨を抱き始める端緒にもなっているのではないかと思えます.それは漠然とした,「自然への畏怖」,「自然があってこその人間の社会」のような感慨かもしれません(僕としては自分の感触をうまく表すには,もっと別の表現に言い換えないといかんと思ってるのですが).しかし人には,このような己の内にあるいくつかの意識のうち,「自然は大切だ」的なものだけを選択的に見て,自らのエゴを見ないフリをする傾向があるのかも知れません.それが表面的な自然保護思想につながるように思えます.

 渓流・源流釣りに限らず,ネットや雑誌などで情報が溢れるにつれ(それだけが原因ではないですが),自然に関わる様々な行為が,今後ますます消費的になる気もします(逆にネットでの情報発信が人に物事を考えさせるきっかけにもなると考えますが).
 種々の情報を検索して,魚がよく釣れそうな場所に赴き,時間と金を掛けたのだから,それに見合う釣果を期待する,期待通りでなければ損したと感じる,ということもあるかと思います.日常生活において商品を購入するのと同じような意識を,釣りに対しても持つ傾向があり,それが必要以上の(何を必要十分とするかという疑問もありますが)漁獲を求めるのではないかと思ったりもします.

 これまで様々な川に行きましたが,そこで出会う釣り人が口にするのは,「昔はいくらでも魚がいたし,でかいのも多かった.今は全然だね~」という内容です.昔より良くなったという話は皆無です.
 今後どこかで,「昔より良くなった」という話を聞くことができる日が来るのだろうか,と思います.
 と同時に思うのが,「いくらでも魚がいる」という言葉の自己欺瞞性(?)です.魚がいくらでもいるという言葉を発することで,自らに対して,魚はいくらでも無尽蔵にいるのだから,自分が少しくらい多く殺して持ち帰ってもなんら問題はないと暗示を掛けているように感じます(これはその他の,たとえば地球規模の環境問題にも言えるのでしょうが).人は自らが用いる言葉に注意する必要があるのかもしれません.



 長くなってしまいました.
 ところでiwakiさんはカメラが水没したとのこと,僕もカメラ水没常習者なので他人事ではありません(苦笑).お使いだったのは5Dでしょうか.やはり水にはかなり弱いのですか.また源流での5Dの性能についても楽しみにしています.
2006.05.18[Thu]  投稿者:ur  編集  Top▲

アンドレさん、どうもです。そちらのブログも訪問してみました。遊魚券の問題-アンドレさんは、きっと正直な人で、欺瞞的な言い分に我慢がならない人なんですね。きっと僕と似ています(笑)。ニジマスなどを「勝手に」放流して釣り大会を開催したりするだけで、遊魚券を回収して歩くだけという漁協には僕も異論があります。別のBBSで、外来種であるニジマスを放流して従来の生態系を破壊してしまう影響についてはどう考えるのか?質問したことがありますが、はぐらかされただけでした。僕のオヤジも漁協員だったので少なくとも一つの漁協の内情を知っていますけど、護岸コンクリや森林伐採とかいう、魚の生育環境そのものにきりこんでいくような活動はほとんどせず、キャップをかぶって遊魚券を払えと言って歩いているだけで、払わないのは泥棒だ、と言うのはどんなものですかねと思います。放流する意味-意義をまず説明する義務がある。釣りファンのためだけの活動しかしていない漁協が川の生態系まで影響をおよぼす行動をしてもいいのかどうか論議を深めたいところです。
 *すべての漁協を否定しているわけではもちろんありません。先日、東京新聞で紹介されていた九州の方の漁協では森林や周辺環境まで踏み込んだ活動を展開していると聞いて感心して読みました。
 僕は、いまはどこの団体にも属してません。せいぜい自分や周囲の人たちによびかけるぐらいのものです。(だいぶ前に若い頃、反対同盟の農家に泊まり込み援農しながら反対運動に取り組んでたという時期はあった)。渓流や里川では、(おもに釣り人が残した)ゴミを拾って帰るとかするぐらいでしょうか。
 urさん。どうも貴重な意見ありがとう。
5Dは、修理センター行ってます(泣)。基盤交換です。1Dなら助かったのかどうか?僕も知りたいところです。レンズは17-40F4Lでしたが、最初オートフォーカスの挙動がおかしかったけれど、そのうち何の問題もなく動くようになりました。Lレンズは防滴にすぐれているようです。
2006.05.18[Thu]  投稿者:iwaki  編集  Top▲

うんうん、返事ありがとうございます。
遊魚券の問題に関しても、全く岩木さんのおっしゃる通りだと思ってます。
森や川等の自然を考えて実行している団体にはお金を払うことによって少しでも役に立たせて欲しいと思うのですが、何をやってるかわからない団体、もしくは自分のやっていることを他人に知ってもらおうともしない団体にはむざむざとお金を払うことはしたくはありません。それが社会一般的なルールだとしても。

でも俺も自然と戯れることの好きな人の一人として
自分に出来ること、小さいことからコツコツとをしてみたいと思います。
つりに行ったら落ちているゴミを一つだけ持って帰る。
または釣った魚の数分だけゴミを持って帰る。ぐらいのことかもしれませんけど。
やっぱり自分に課した使命感がないと何もしないもんで。

俺を含めての話ですけど、人間の意志って弱いですよね。
人類が滅びても地球はこれからも生き続けていくでしょう。
もし自然が滅びて人類が滅んでも大地がある限りまた自然は再生するでしょう。
しかし人類は再生しないでしょう。
自然を守るということが人間の本能の中に組み込まれていないのは、
人類が繁栄の道を選ぶか滅びの道を選ぶかの権利を神があたえたのでしょうね。
2006.05.18[Thu]  投稿者:アンドレ・マルコビッチ  編集  Top▲

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