写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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その声は錯覚ではなくて、まぎれもなく自分自身の声なのかも~しれなぁい~
自分自身の源流を遡行しているとき、天然の瞑想状態でいられるのかもしれませんね。
2007.04.18[Wed]  投稿者:えみこ。  編集  Top▲

>えみこさん

どうもです。
う~ん、自分の声とは、少しちがうんですね。
言葉にしているのは自分だけど、自分から主体的に発しているわけじゃない。やっぱり語りかけてくるのは自然なんですね。それをあえて僕は「山の神の声にきこえる錯覚」と言ってみた。
そのちがいをわかってくれればいいんだけど。
と言っても経験しなければわからないのかもしれないなあ。

>天然の瞑想状態
これ、イメージちかいね。
肉体も脳みそも疲れていることが必要かな?
2007.04.19[Thu]  投稿者:iwaki  編集  Top▲

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なぜNatureと向き合う?

雪山

 「なぜ岩木は、突然、山の写真に向かったのかわからない」と僕の古くからの友人に言われたことがある。「なぜ?オレにはその理由がわからん」という団塊世代特有の断定的問いかけ。
 ここには、何かしらどんな物事であろうと合理的説明ができるという不遜な考えがある。それに対する僕の答えは逆に、この質問の仕方そのものの中ににあると言い返すことができるかもしれない。
 合理的説明、科学的認識の到達しえない深さが自然の中にはある。というか、そういう不可知の領域が数多くあるということを教えてくれるのだ、自然というものが。僕が合理的思考を否定しているわけでは決してない。むしろまったく逆で僕は一貫して唯物論者である。そういう観察態度をもって接していても本質に迫れない多くの事柄が自然界には存在する。だからこそいっそう惹かれていったのだと思う。そういうものに触れる度に僕は僕の考え方の未熟さに気がつく。僕は山中で一人で自然をみつめてそれをとって返して人間や社会を見直したりする。
 こういう質問をする人たちは、「自然よりも人間や社会をとらえることの方が深淵だし高尚である」という不遜がある。「人間中心主義(という言い方をするといい意味の方に誤解しかねないので、人間自己チューと言った方がいいかもしれない)」というヨーロッパ近代思想の限界もここにあらわれていると言ったら彼はきっとムッとするだろう(笑)。でも彼らは戦後民主主義の良心的な部分でもある。非合理なものに突き動かされ侵略戦争へと導いた戦前の思想へのアンチテーゼの体現者である。だけど僕が向いているのはそういう(昔に帰れというような)おろかな復古主義ではない。懐古主義でもない。そういう安易な懐古主義に対する警戒心はぼくも常にある。

 こういう話し方だけでは僕の友人はけっして納得しないだろう。僕もそれだけで説明するつもりはない。いずれ少しづつ話すことができたらしてみよう。理論的整合性のある話など僕にはまだできない。まず山に向かうスタンスだけの話をしよう。
 
 南八甲田の奥深く、森を歩き川を渡って写真を撮っていると、時折、山の神の声が聞こえてくる。その声はまぎれもなく錯覚だ。だけどその、源流を単独で遡行している時にしか聞こえないその声と対話しながら僕は、自然と人間の生き方について考えなおしてみようと思っているのだ、と。
2007.04.18[Wed] Post 17:35  コメント:2  TB:0  八甲田山歩きの旅  Top▲

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その声は錯覚ではなくて、まぎれもなく自分自身の声なのかも~しれなぁい~
自分自身の源流を遡行しているとき、天然の瞑想状態でいられるのかもしれませんね。
2007.04.18[Wed]  投稿者:えみこ。  編集  Top▲

>えみこさん

どうもです。
う~ん、自分の声とは、少しちがうんですね。
言葉にしているのは自分だけど、自分から主体的に発しているわけじゃない。やっぱり語りかけてくるのは自然なんですね。それをあえて僕は「山の神の声にきこえる錯覚」と言ってみた。
そのちがいをわかってくれればいいんだけど。
と言っても経験しなければわからないのかもしれないなあ。

>天然の瞑想状態
これ、イメージちかいね。
肉体も脳みそも疲れていることが必要かな?
2007.04.19[Thu]  投稿者:iwaki  編集  Top▲

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