写真家の山暮らし

Photos of Japan north country and the Photographer’s Journal 南八甲田の麓、奥入瀬川のほとりの山のスタジオからNature Photoを添えて日誌を綴っています。2012.3.11に恵比寿のスタジオをこちらへ移転しました。

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2007.04.27[Fri]  投稿者:yamada  編集  Top▲

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シネグレと悠々 その3

攻撃する木1


攻撃する木2



攻撃する木3



攻撃する木4


この木はちょっとすごいですよ。
針葉樹林のアオモリトドマツ帯の中にあって、ぽつりと落葉樹が孤立して混じってます。
隣の木をまるで攻撃しているようです。シネグレですね。

さて、
シネグレと悠々 その3 ですが、..
少し視点を変えてみましょう。

自然を観察していると、

物事とは常に相互補完的であり、相対立的に見え、多面的に観察しないとよくわからないものだということを知らされる。

「虫もシネグレだな」としゃべった母親の言葉に僕は驚いたと前に書いたけれど、

「虫もシネグレ」という言い方は、人もその他の生き物もまるで同列である。
自分の息子が山でヤブ蚊に刺されて手を腫らしているのに、彼女は、息子の腫れた手を心配するでもなく、
自然の生き物達も生きてゆくのに一生懸命で大変だなあと感想を述べたのだ。

この言葉は、しばらく僕を考えさせた。

1,人間も虫けら(=自然)もあまり分け隔てなく語っていること。
2,シネグレという「生き方のスタイル」が虫にもあるのか?ということ。

そういうことをスラっと言ってしまう。

これは、僕の長年の疑問を射抜くようでなおさらハッとした。

 それはどういうことか?

ヘーゲルやマルクス、それ以降の実存主義や構造主義から現代にいたるまで、一貫してある考え方への疑問なのですが、簡単に言うとこういうことです。

「動物は単に直接的な肉体的欲求に支配されている」(「経済学・哲学草稿」マルクス)だけの存在で、人間はそうであってはならない(ヘーゲル)、というようなことを言っているわけです。極論すると、動物は、生きるためにのみ飲み食い動いているだけだ。人間はそこから「跳躍」しなければならないと言っているわけです。
 この言葉だけとれば、語弊が生じます。時代的背景、封建制批判やキリスト教批判という面もからめて読まないといけないのですが、それでも僕は疑問に思った。自然を観察していくにつれよけいにそう思うようになったのです。

 「自己意識」というものを人間だけの独自の、人間にとってもっとも大事なものととらえていること、そのことに対する疑問ですね。だって、自然の生き物たちだって「意識」があるんじゃないかと思えるシーンを何度も見ているからです。食うだけ?生きるだけ?種を保存するだけ?そうじゃないシーンもあるよ、と。

 そういう具体的な側面と、さらにそういう「人間中心主義」という視線の偏向自体にも疑問を持っていたのです。
母親の言葉は、そういう意味で、人間の目線からしか世界を視ることが出来ない近代思想の偏向を、一言で射抜いている。学問書など読むはずもない彼女の視線を形作っているのは自然の教えという他ないと思う。この視線とは、人間と自然が共生し持続可能な環境を保持していく上で僕たちが獲得すべき見方と通底するものであって、それを、大正生まれの「無学」の母親が保持していたことに驚いた。

 ここにもう、ぼくの不遜があるわけですね。自分の思考の客観性みたいなものに対する傲慢さ!この二重のパラドックスにハッとしたわけです。ヨーロッパ哲学の不遜さに疑問を持っていた自分が、同じレベルで「無学」の者に対して不遜さを持っていた!
 ここに重要な問題があるんですね。
 科学的客観性と考えられるものというのは、文化とか文明とか違えばまったく別の意味を持つということですね。
 自然と深く共存して生活してきた人たち(=母親のような)にとっては、虫もけものも人も同列に生きているということは、当然のことだったわけです、きっと。僕らの戦後の学校教育の中身の方が(ヨーロッパ思想に)偏向していたというわけです。
 
 自然と人間の捉え方について書いてきましたが、
同時に僕はもう一つのことを言ってます。つまり、自然の捉え方だけじゃなくて、いろんなものごとを捉える方法そのものです。

シネグレと悠々、というのは、
見方、歩き方、生き方のキーワードでもあるし、
ひとつのサンプルでもあるわけです。
サンプルというのは、
相対する相互補完的な見方でものごとを見ていかないとまちがえてしまうよ、という考え方を提示する上でのひとつのサンプル的言葉だという意味です。
 だからここに、厳しさと寛容、と入れてもいいのです。
簡単に言うとこういうことです(というか簡単なことなんですが)。
”南八甲田というのは厳しい山だな”
”でもそれだけじゃ一つの側面しか見ていない。寛容の山でもあるんだよ”というようなことです。



シネグレであることと相対するように、自然の生き物たちは悠々としていること。このことを見ないと自然の捉え方は一面的であるよと言う時、僕は、内容を言っていると同時に捉え方、見方についても提示しているつもりです。

ずらずら長く書いてきましたが、言葉にしてみないと、(山で)考えたり想ったりしていることの整理がつかないのでこういうかたちをとりました。あまりシネグレにならずに少しは悠々と読んでご意見くださいませ(笑)

ただ、明日からまた八甲田に向かう予定ですので(今回は長くなりそうです)、コメントへの返信は遅くなるかもしれません。ご承知ください。


2007.04.27[Fri] Post 11:43  コメント:2  TB:0  山歩きの思想  Top▲

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