実は、帰京する途中、岩手の女房の実家へ寄って、田植えを手伝ってきたのです。


機械で植えたあと、人の手で「植え直し」をする。これがけっこうたいへん。専業で農家をやっているのは70過ぎの年寄り2人しかいないので二人で手伝いに行きました(去年は稲刈りの手伝いにも行った)。僕は、田植えは、40数年ぶり!小学校の頃、学校休んで親戚のうちに手伝いに行った記憶がある。
そう言えば昔は、どこの学校でも「田植え休み」というのがあった。自分のうちが農家じゃなくても親戚などに手伝いに行ったものだし、学校でもそれが公認だし欠席扱いにはならなかったと思う。そういう助け合いの気持ちがあったし、農業というものをみんなで大切にしていたと思う。
それがいつのまに消えてしまったのか?
グローバリズムと効率主義ばかりが幅を効かせておかしくなってしまったのだろう。岩手の実家では、田植機を持っていない。だから機械と「植手」を頼むのだ。その後、自分らで植え直しする。5条植えの機械で180万するそうだ。米の現金収入が40万ぐらいしかないのに
「そっただ機械買ったら一生借金払えねえ」そうだ。
(このうちではコンバインもないので稲刈りも乾燥も手作業だ。だけど話を聞いていると、そうやって大型機械の借金がないから細々とでもやっていけるのだそうだ。政府と農協の勧めるままに機械化した家は苦労しているらしい)田んぼは7反部しかない。それなのに、「そこには植えなくていい」と言われたところがある。減反分だそうだ。あとで役人がチェックしにくるらしい。これが日本の農業政策というやつだ!
あきれて何も言えなくなってしまった。
後継者がいなくなるのも当然だなあ。


草刈りもけっこう大変です。まあ、僕らはめったにないことだから楽しんでやってましたけど^^;

美しい田園風景ときれいな森と川を残したいよね!
僕は拙写真集「南八甲田の森をゆく」で少し触れましたけど、日本の稲作と農業が、水を大切にする思想をはぐくみ、森を大事にしてきたのです。だから僕らがやってきたのは根源的な環境運動ですね。だってカネとかそんなもんの問題じゃないですよ。手間ひま考えたらだまって米を買って食った方が安上がりです。安上がりかどうか(=効率)だけで全ての事を考えていいのか?ということをラジカルな環境問題の視点にすえなければならないのです。
でも田植えの後で、あぜにねまって食べる「こびり」は旨かったなあ。(こびりというのは「小昼」がナマッたものらしいです。朝と昼の間の休憩時にたべるおやつのこと)