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南八甲田の森と源流を彷徨した記録、Gスタジオから発信する雑記 Photos of the Forests and Streams of Mt. Hakkoda and the Photographer’s Journal

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写真展「源流の核(コア)ー滝とゴルジュ」

写真展
年明け1月5日から、同時開催でふたつの写真展を開催します。
一つは、2009キヤノンカレンダー中心の写真展です。これはのちほどご案内します。きょうはもうひとつの方を紹介します。
 品川のキヤノンSタワー2Fオープンギャラリーで1月5日から2月3日まで。オープンギャラリーですので制限のある展示です。だから思い切ってテーマを絞りました。

 残念ながらカレンダーには採用されなかったけれど、僕としては思い入れの深い写真、とりわけ僕の本来のフィールドとも言える(源流の河原乞食か^^;)川の写真、その核(コア)である滝とゴルジュからセレクトしてみました。

 「癒されるような自然の写真」というようなものを期待してもらったらそんなものはここにはありませんよ。心臓バクバク、ドキドキ。僕が現場で感じたそういうものを見る人に与えたいなあと目論んでいるのです。
銀座ギャラリーの方の「原生の鼓動」展の方で、もの足りなかったらぜひこっちにも足を運んでください。
2008.11.28[Fri] Post 13:49  コメント:2  TB:0  日誌  Top▲

カレンダー刷り上がりました

2009キヤノンカレンダーが刷り上がりました。
表紙プラス12ヶ月全13カット岩木登撮影。535mm×370mm
近日中にキヤノンサイトでも取り扱いの案内が出ると思いますが、
ご希望であれば僕にメール連絡いただければ手渡し可能です。
カレンダー表紙
カレンダー中ページ
カレンダーコメントページ






2008.11.25[Tue] Post 15:21  コメント:3  TB:0  日誌  Top▲

12月のガリ勉

12月2日(火曜日)午後7時半から  を予定しています。
参加希望者はご連絡ください。
2008.11.14[Fri] Post 14:53  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲

写真展日時のおしらせ

とりあえず日時だけ決まりましたのでお知らせします。

***2009年1月5日(月)〜14日(水)、キヤノンギャラリー銀座にて、カレンダー掲載作品を中心に。

***2009年1月5日(月)〜30日(金)、品川キヤノンSタワー2階オープンギャラリーにては、別のテーマで写真展を準備しています。

キヤノンギャラリー銀座のオープン日1月5日には簡素ながらパーティを準備していただける予定ですので、ぜひスケジュール空けておいてご来場ください。
2008.10.31[Fri] Post 10:15  コメント:4  TB:0  日誌  Top▲

荒ハバキと日高見の国

東北地方は、古代ー中世ー近世を通じて蝦夷(エミシ)の国と呼ばれていたわけですが、
もちろんこれは中央政府側ー西の国の人々の蔑称なわけです。正式には陸奥の国ということが多いけれど、これもまた、道の奥=みちのく、という言葉の流れからとってつけたと差別的な用語でこれも大和朝廷側の名称なわけです。
 当時の大陸=宋の国の古書には、日本の東北地方のことを「日高見の国」と記されていて、大和の国とは別の国として認識されていた。日本書紀にも出てきます。「武内宿禰が東国を巡視し、東に日高見国がある。蝦夷が住んでおり、土地は肥沃で広大である。征服すべきであると報告した」とあります。

こういう史実をひも解くことは、現在の東北の自然や文化を語る上で、避けて通ることのできない問題を含んでいるからで、まあ、たまにはぼくにつきあって読んでいってください。


蝦夷(エミシ)というのはもちろん朝廷側の蔑称なわけですが、古代東国の人々がなぜこれほどまでに、いわれなきほどの差別を西国の人々から受け徹底的に蹂躙され続けてきたのかというのはかなり疑問なわけです。蝦夷の女たちはことごとく犯され男達は奴隷として捕らえられ孚囚とされて柵の中に閉じ込められた。反抗する者たちは蝦夷(エビス)となって何百年にもわたってゲリラ戦を挑んできたわけです。

これは大和朝廷が、外国を夷荻(野蛮人)と呼んで東夷、西戎、南蛮、北荻として差別した中華思想を模倣をしたというのもあります。チンケな公卿のサル知恵と言ってもいい。これを日本にも適用しようとしたわけです。

それにしても、例えば西方の朝敵、隼人族や熊襲に対するよりもずっと激しい敵意と差別をもってあたったような気がします。それはただ単に、国家統一の過程で暴力的な統一を進めたという政治的理由だけではなく、さらに金と馬という重要な資源奪取という経済的な理由だけでもない、それ以上に理由があったのではないかということです。

なぜか?

一つの推測として、
天孫系=蘇我氏勢力と対抗して破れ、東北に逃れ住んでいた物部氏にも関係しているのではないか?というのがあります。



物部氏は古代において、蘇我氏(前述の武内宿禰などは蘇我氏と言われている)の主張ー仏教を取り入れて天皇を中心とする中央集権国家をつくるべきという意見、に徹底して対抗した勢力と言われている。物部氏は、地方分権もしくは連邦制のようなものを主張し、仏教ではなくて地方の多神教をそのまま残そうという意見だったようです。

物部氏は権力闘争に敗れて東北に逃れるわけです。つまり天皇ー大和朝廷統治を否定した許すべからざる勢力だったわけですね。この物部氏が朝廷に対抗する蝦夷勢力を陰で支援していたというわけです。

物部氏に関係すると言われているのが、東北各地に散在するアラハバキ(荒覇吐)の神という民俗信仰ですね。アラハバキは製鉄と黄金の神様です。製鉄技術は物部氏が持ち込んだ。これは後に南部鉄器につながってくる。強力な蝦夷刀もこの技術のおかげです。金は東北各地で産出していた。義経伝説のあたりで「金売り吉次」という商人が登場しますが、これは代々東北の金山の頭領だったようで、これも実は物部氏そのものではないかという説すらあります。岩木山は実はアラハバキのご神体とも言われています。

安倍氏もアラハバキ信者であったと言われています。衣川に磐神社というのがありますが、これがそうです。この荒神社は、東北各地に100近く存在するようですが、鎌倉政権以降はかなり弾圧されて縮小の道をたどりその後こっそりと隠れるように存在し続けたようです。

この荒神社ですが、僕は今回散歩してそれらしきものを偶然見つけたのです。東山の実家からほんの20分くらいのすぐ近くにありました。
荒ハバキ神社
PowerShot G9

地元では、「荒神様」と言っているがどうも荒ハバキではないかと思います。「火産霊神社」と名乗ってました。火産霊!どうみても製鉄ですね。もちろん真偽は不明。ただの推測ですが。
荒ハバキ神社
口上を読むと、ご祭神として、火産霊神(ホムスミノカミ)、大己貴命オオナムチノミコト(注。これは大国主神オオクニヌシノミコトの別名)、素戔嗚命(スサノオノミコト)、軻遇突智命カグツチノミコト(注。これも火の神)、天目一筒命アメノヒトツツノミコト、国常立命クニトコタチノミコト、とあります。ただこれは昭和以降に立てられた札ですから伝承から近代人が書き起こしているわけで、これ自体はうのみにするわけにはいかないのだけれど。
荒ハバキ神社
境内にはいくつもの岩が列挙してある。
「古峰神社」とは鹿沼市にある神社ですね、たぶん。「大国の神」もある。「庚申」とは干支のことか?庚申は、Wikipediaによると「庚申は干・支ともに金性である」とある。不明。
「黄金山」とあるのは、宮城県小田郡にある黄金山神社のことか?
この神社は東北の神社では重要です。日本で最初に金を産出したとされる小田郡に設けられた神社。天平21年(749)当時の陸奥国守百済王敬福が、小田郡産出の黄金(砂金)900両(約13kg)を朝廷に献上した。この金が世界最大の金銅仏(銅に鍍金して仕上げる仏像)である東大寺の大仏 に使われた。天皇は宣命を発して大いに喜び、年号を「天平」から「天平感宝」へと改めたほどだ。この時期あたりからはげしく大和朝廷側の東北侵攻が始まったわけです。 いやあ、古代史の回廊をめぐっているようでおもしろい。

荒ハバキ神社
これはいったい何だろう?社殿の正面に飾ってあった。鉄製の剣か何かではないか?とすればますます製鉄の神である荒ハバキであるように思える。


荒ハバキ神社
神社のすぐ前に、ぞくっとするようなそれらしい雰囲気たっぷりの古木がありました。遠くから見てすぐハッと気づくほどの異様な気を放っている見事な古木でした。まさしく妖木ですね。素晴らしい。
荒ハバキ神社
別に僕は信者でも何でもないのですが、歴史をたどる上で民俗信仰というのは重要な手がかりだからです。浅はかで的外れな言いがかりはやめるように、ぶ〜やのS君(笑)

2008.10.28[Tue] Post 10:25  コメント:0  TB:0  日誌  Top▲
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