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経験値を越えた雪融け大増水傷の手当![]() あやまってナイフで指を切ってしまった。 僕は救急パックのようなものを持っていかない。ほとんど使ったことがないので携行するのを何年も前からやめてしまったのだ。 で、こういう時は、手ぬぐいを破いて包帯を作り、ヨモギを薬草に使う。高山帯に行ってヨモギがない時はダケカンバの樹皮を使う。ヨモギは草に水をつけてそれををしぼって傷口に塗るだけだ。 ナイフでけっこうザックリ切ったけれど、午前中歩いているうちに傷口はふさがってしまった。市販薬よりもよっぽど強力なのである。ヨモギはヤブ蚊よけにも役立つし、ヤマビルにくわれたときの血止めにもなる。大量のヨモギをテントや焚き火のまわりで燃やしてくすぶらせておけばよい。ヤブ蚊はさーっといなくなってしまう。 日本手ぬぐいというのは山では、非常にいいものなのである。軽いし、濡れても絞れば薄いのですぐ乾く。タオルではこうはいかない。包帯にもなるしバンダナにもなる。帽子がない時は「ほっかむり」すればいい。岩魚を刺し身にする時に身をふく時にも役に立つ。岩魚はあまり水で洗ってはまずくなるのだ。 日本の古来からの文化、自然の恵みものを大事にしたい。なんでもかんでもすぐ金を出して揃えてしまうというのはやめようーこの考えはほんとのところのエコにちがいない。みんなが少しばかりの「快適さ」(=に感じるけれどもほんとはそれほどでもないこと)をけづっていこうということではないかな?とか思ったりします。 40数年ぶりの田植え
実は、帰京する途中、岩手の女房の実家へ寄って、田植えを手伝ってきたのです。
![]() ![]() 機械で植えたあと、人の手で「植え直し」をする。これがけっこうたいへん。専業で農家をやっているのは70過ぎの年寄り2人しかいないので二人で手伝いに行きました(去年は稲刈りの手伝いにも行った)。僕は、田植えは、40数年ぶり!小学校の頃、学校休んで親戚のうちに手伝いに行った記憶がある。 そう言えば昔は、どこの学校でも「田植え休み」というのがあった。自分のうちが農家じゃなくても親戚などに手伝いに行ったものだし、学校でもそれが公認だし欠席扱いにはならなかったと思う。そういう助け合いの気持ちがあったし、農業というものをみんなで大切にしていたと思う。 それがいつのまに消えてしまったのか? グローバリズムと効率主義ばかりが幅を効かせておかしくなってしまったのだろう。岩手の実家では、田植機を持っていない。だから機械と「植手」を頼むのだ。その後、自分らで植え直しする。5条植えの機械で180万するそうだ。米の現金収入が40万ぐらいしかないのに 「そっただ機械買ったら一生借金払えねえ」そうだ。 (このうちではコンバインもないので稲刈りも乾燥も手作業だ。だけど話を聞いていると、そうやって大型機械の借金がないから細々とでもやっていけるのだそうだ。政府と農協の勧めるままに機械化した家は苦労しているらしい)田んぼは7反部しかない。それなのに、「そこには植えなくていい」と言われたところがある。減反分だそうだ。あとで役人がチェックしにくるらしい。これが日本の農業政策というやつだ! あきれて何も言えなくなってしまった。 後継者がいなくなるのも当然だなあ。 ![]() ![]() 草刈りもけっこう大変です。まあ、僕らはめったにないことだから楽しんでやってましたけど^^; ![]() 美しい田園風景ときれいな森と川を残したいよね! 僕は拙写真集「南八甲田の森をゆく」で少し触れましたけど、日本の稲作と農業が、水を大切にする思想をはぐくみ、森を大事にしてきたのです。だから僕らがやってきたのは根源的な環境運動ですね。だってカネとかそんなもんの問題じゃないですよ。手間ひま考えたらだまって米を買って食った方が安上がりです。安上がりかどうか(=効率)だけで全ての事を考えていいのか?ということをラジカルな環境問題の視点にすえなければならないのです。 でも田植えの後で、あぜにねまって食べる「こびり」は旨かったなあ。(こびりというのは「小昼」がナマッたものらしいです。朝と昼の間の休憩時にたべるおやつのこと) ぶなという文字が教える近代の過ち註)ぶなという漢字は、木+無なのですが入力できません。FC2ブログの方で対応していないのかな? きのう、「無駄な」ことのように見える多くの事柄は、実は決して無駄ではないという話を書きましたが、 それに関連する話題をひとつ。 ブナはぶなという字を書きます。これは近代作られた文字です。 何も無い木だからぶなというわけですかね? 建材にもならないし大した実もつけないから役にたたないなんもなしの木と近代以降の人によってつけられたのでしょう。そうやって近代以降、ブナの木は明治以降大規模に伐採されたり杉やヒノキに植え替えられたわけです。 だけど、ブナというのは、酸素を大量に供給して空気をきれいにするし、大量の雨を蓄えてきれいな水も供給するわけです。洪水も抑えてくれる。根があまり張らないので倒木も多くそのおかげで豊かな土壌を作りやすく多くの生き物たちの楽園にもなっているわけです。 役にたたない木、無駄な木と思われていたブナは実は何よりも大事な貴重な存在だったわけです。これを近代以降の人は疎外して排除してしまってきた。そして今になってこの代償を現代人は払わされることになったのです。ブナだけではない。西南日本のシイやカシの木などの照葉樹林も同じ運命にあいましたね。それも日本だけではない。世界中で同じことが行われたのです。 ブナという木の問題だけではない。ブナと同じように扱われている人間もいると思いませんか? 役にたたない、無駄である、効率的でない、ということでスポイルされている人や物事。 効率主義、経済主義だけで物事を考えていたら大事なことを忘れてしまう危険があるということをブナの森は教えてくれるのです。 ![]() 1D Mark III /EF24-105mmF4L IS 異様なブナ林
7〜8年に一回の周期でのブナシャチホコの食害で、今年は八甲田の一部のブナ林の葉が枯れてしまったのだけれど、これほどの規模での被害というのは僕は見たことがない。単なる周期的なもの以上に異変が起こっているような気がして心配だ。
![]() 蔦のあたりではまだ被害は見られない。標高を上げて登って行くと、突如として異様な光景が眼に入ってくる。 ブナ林がまだえんえんと続いているはずなのに前方がいやに明るくなっている。ブナではなくてまるで白樺の林のようだ。 ![]() 食害の境界線はかなりはっきりしている。下写真の右半分から枯れ始めて明るくなっている。 ![]() 被害の最中へ行って空を見上げるとまったくの冬枯れ状態であった。 ![]() その一帯を過ぎると被害はそれほどでもなくなるんですよね。 ![]() |